バラバラ死体殺人事件

今日は文献紹介というよりも無駄話。

ここ数日、ただの凶悪事件というのではなく、人間の身体に加えられる暴力のおぞましさで胸を悪くさせるような事件が相次いで報道されている。しばらく前から、睡眠導入剤とかいった医学用語をさんざん聞かされていたところに、イギリスから来た英語の先生を殺した市橋容疑者が、顔を整形で徹底的に改変した写真は、胸の奥に鉛のような感じを残した。そこにもってきて、島根の女子大生の「頭部」や「胴体」が広島の山の中でみつかったというニュースは、ダメ押しのように、暗い闇が心にのしかかってくるような印象を与えた。「心胆を寒からしむる」という表現がぴったりくる、体から温かさが奪われていくような感じがする。

広島の「頭部」のニュースを知ったときに、誰もが、これは猟奇か隠蔽かは別にして、とにかく犯罪者のしわざだと思ったことだろう。19世紀のイギリスであったら、バラバラ死体が見つかったら、「殺人事件だ」と思うより先に、「医学生のしわざだ」と人々は思った。実際、1873年の9月にテムズで女性のバラバラ死体が見つかったときに、すぐにこれは医学生が解剖実習の死体を捨てたのだといううわさが広まったので、ロンドンの解剖査閲官のチャールズ・ホーキンズはすぐに声明を出して、発見された死体の特徴は、医学校に引き渡す事が裁可されたどの死体とも一致せず、これは医学生の仕業ではないことを公衆に説得しなければならなかった。『ランセット』やBMJなどの有力医学雑誌も、これが医者の仕業であるというのは馬鹿げた中傷であるという記事を出さなければよかった。 ばらばら死体が見つかったときに、猟奇的な犯罪者のしわざだと思えることは、たしかにおぞましさの極みではあるが、医者の仕業だと思うような社会よりも、まだましなのかもしれない。 

このテムズのバラバラ死体の事件を、冒頭のエピソードに効果的に持ってきて、19世紀のイギリスの解剖査閲官(解剖用の死体が、医学校の適切に引き渡されているかどうかを査察する官吏)を論じているのが、MacDonald, Helen, “Procuring Corpses: the English Anatomy Inspectorate, 1842-1858”, Medical History, 53(2009), 379-396. なお、ちなみに、同じ号に、すぐれた中世学者で、数年前に一緒にお仕事をさせていただいたことがある久木田直江先生の論文、Kukita Yoshikawa, Naoe, “Holy Medicine and Diseases of the Soul: Henry of Lancaster and Le Livre de Seyntz Medicines”, Medical History, 53(2009), 397-414. も掲載されている。 Medical History は、無料でパスワードなしで Pubmed Central で読むことができます。