飛騨の痘瘡

必要があって、須田圭三『飛騨の痘瘡史』を読む。教育出版文化協会という出版社から、平成4年に出版されている。著者は、日本近世の疾病の歴史、特に歴史疫学の研究において傑出した業績である『飛騨O寺院過去帳の研究』で著名である。この書物は、『O寺院』のリサーチをもとにして、そこから天然痘にかかわる部分を取り出して、新しいリサーチを補足して発展させ、コンパクトにまとめたものである。

もとになっているリサーチは、岐阜県大野郡宮村にある往還寺の過去帳過去帳はもともと死亡の年月日などが記されているので、歴史人口学にとって重要な資料だが、この寺の過去帳は、死因が記されているという大きな特徴を持っている。もちろん、当時の医学の体系の中での死因だから、現代の疾病分類には重ならない。しかし、たとえそれが「傷寒」のようなあいまいな死因であっても、使い方次第では重要な洞察を引き出せる。とりわけ、「痘瘡」は、症状にも特徴があるし、色々な意味において信頼していい診断であるから、

1730年から1849年までのあいだに、痘瘡の死者が出た年は、平均すると10年に4.2件になる。しかし、この年の多くは死者が一名とか数名程度のものであり、数十名が死亡する大きな流行は、10年に一回くらいになる。