必要があって、19世紀スコットランドの精神病院で後半生を過ごした女性の回想録を読む。文献は、Watt, Christian, The Christian Watt Papers, ed. By David Fraser (Edinburgh: Birlinn, 1988).
クリスティアン・ワットは1833年にスコットランドの漁港のフレイザーバラに生まれて、1925年にアバディーンの精神病院で没した女性である。彼女の夫や息子を立て続けに亡くして精神を変調させ、1878年に数回に分けて精神病院に入院する。精神病が治ったあとも、彼女は精神病院に留まって、その住み込みの従業者となる。魚市場に患者用の魚を買いに行くのが彼女の主たる仕事であった。この、素朴で朴訥な女性が、後年になって自分の人生を振り返って記した回想に少し手を加えて出版されたのが、この書物である。
予想はしていたが、成長、結婚、子育てなどの、精神病院に入るまでの人生の記述が書物のかなりの部分を占めている。精神病院で40年以上過ごしたのだから、書くことはたくさんあるはずだけれども、あまり書いていない。ある独身女性について、母親と死別して、その衝撃を和らげるために、一時、精神病院に来たのだと、こともなげに書いてあるのには、ちょっと驚いた。精神病院が、こういう短期のアサイラム的な目的で使われる「べきだ」という議論は知っているが、その実例にでくわしたのは、私は初めてである。もちろん、私がよく知っている時代はイギリスでいうと19世紀、日本だと戦前だから、気軽に心の傷を治せる精神病院という患者は、いたとしても少数派だったのだろう。