昨日記事にした花田の書物と同じように、山下清をはじめとする障害児の絵画についての研究で、多くを学んだ。山下だけでなく、沼裕一や石川謙二など同じ八幡学園の知的障害児の作品を分析しているのも面白かった。沼は重度の知的障害、唖、てんかん、そして虐待の経験などをもつ児童で、クレーのような雰囲気のクレヨン画がカラーでたくさん掲載されていた。石川は早くに両親をなくして浅草で育った障害児童であったが、そのときの記憶に基づいて浅草の様子をダイナミックな筆致で細かく描きこんだ迫力がある絵が掲載されていた。
山下清は戦後になって「裸の大将」として国民的な有名人となったが、その美術界へのデビューは戦前にある。早稲田大学の心理学者の戸川行男が千葉の障害児教育施設である八幡学園を訪問するうちに山下清の作品に出会い、1936年の早大文学部の『哲学年報』で山下の心理テスト、臨床研究、作品や作文の紹介などをする。そして小規模な展覧会を経て、1938年に早大の大隈講堂の小講堂で「特異児童作品展」と称して、山下や石川を中心に八幡学園の児童の作品を200点ほど展示した。この展覧会は大きな反響を呼び、当時の画壇の大家の安井曾太郎が高く評価した。翌年に銀座の画廊で開かれた展覧会では5日間で2万人という記録破りの入場者をひきつけ、この展覧会のあと、山下を中心に画家や芸術家・評論家・哲学者などが山下絵画の価値について論争を戦わした。小林秀雄や谷川徹三らは懐疑的・批判的で、柳宋悦は高く評価した。文学外の文学を積極的に評価しており、「らい文学」の北條民雄や少女雑誌の投稿などを発見していた川端康成は、両義的な態度をとった。
私は専門家ではないからどの程度オリジナルなリサーチなのかは分からないが、私はとても多くを学んだ。この書物も、「障害の歴史」研究のひとつの礎石になるのだろう。