幕府の医学館

必要があって、幕府が1791年に官学化した「医学館」についての研究を読む。文献は、町泉寿郎「医学館の学問形成」(一)~(三)『日本医史学雑誌』45(1999), 339-370; 515-542; 46(2000), 3-22.高い水準のリサーチに洗練された歴史学の意識を組み合わせた、必読文献の一つである。

荻生徂徠の時代から官僚養成機関を作るべきであるという発想は、松平定信の改革の中で再び取り上げられ、幕府の官医を作るための組織が必要だという方向になった。そのため、寛永三年に、官医であった多紀家の私塾を医学館といて官立の学校にしたのが医学館である。これは、林家の私塾を官立にした昌平坂の学問所が、幕吏の選抜や藩士の留学の機能を持ったのと並行的にとらえることができる。

また、「官学」性は、それまでの医学界で新勢力として猛威をふるっていた「古方」に対する歯止めになった。古方は臨床的有用性によって古典を恣意的に変改する傾向を持っていた。医学館において、医学の古典はどのようなものであったのかという文献学的な研究が盛んに行われたことは、臨床・観察と書物の権威の関係を調整する上で、幕府の官学が書物の権威を重んじたことを示唆する。