免疫学・生態学と「自己」というイディオム

必要があって、免疫学の歴史における「自己」というイディオムを導入したマクファーレン=バーネットについての研究論文をチェックする。文献は、Crist, Eileen and Alfred I. Tauber, “Selfhood, Immunity, and the Biological Imagination: the Thought of Frank Macfarlane Burnet”, Biology and Philosophy, 15(1999), 509-533.

オーストラリアの科学者のマクファーレン=バーネットは、免疫学に自己―非自己という概念を導入するという重要な貢献をした。このあたりの免疫学のテクニカルなこともできれば勉強したいけれども、私がマクファーレン=バーネットを知っているのは、『感染症の自然誌』において生態学的な感染症理解を説いた学者としてである。この発想は、疾病の世界史を最初に構想したマクニールに(おそらく)影響を与えている。

この論文は、MBの自己―非自己という「イディオム」が、当時の自己概念などから借りてこられたものではなく、生物学的な概念の伝統の中から自生的に作られたものであることを論じている。この「生物学的な概念」というのは、化学的で還元的な概念と対置される、生物を全体的に捉えるもので、メチニコフが推し進めた志向であった。そこには、自分でないものを「認識し」、それと「戦う」という、知的・意図的な要素すら含んでいる形で理解された。血清学や分子生物学のような化学的・還元主義的な志向は、実用性が高く、真のサイエンスとしての威厳をもっていた。しかし、それと同時に、生物学的な志向も協力であった。

MBが自己―非自己のイディオムを作り出した背景には、健康と病気についてのエコロジカルなモデルに興味をもっていたことがあった。ホストと寄生者の関係を、二つの生きものの関係ととらえた。ダーウィンの進化論は用いたが、メチニコフのような闘争的なものではなかった。病気で死ぬことは、ホストと寄生者の関係にとって本質的なことではなく、むしろ、寄生者にとっては寄生先がなくなる不利なことですらあった。結局、両者の関係は、「平衡」と捉えることができ、ヴィルレンスが強くて死んでしまう場合から、サブクリニカルな不顕性感染、あるいは共生にいたるまでのスペクトラム上を流動するものであった。