武田泰淳『富士』

古井由吉の濃密な精神病の世界から少し遠ざかるために、武田泰淳『富士』を読み返してみた。

戦争末期の富士山麓の精神病院を舞台にした小説。小説自体が書かれたのは1969年から71年で、当時の日本の精神医学が置かれていた革命の夢想の気分が、小説に色濃く投影しているように見える。昔の小説では、登場人物の精神病というのは、その人物を物語世界の外部に追放して物語を終えるための仕掛けであったが、この小説では精神病院の患者と、そうでない正気の人々の敷居は、きわめて低くなっている。患者たちは、たとえ妄想を語ったり虚言症であったり、あるいは何も語らなかったりしても、ごく当たり前のように正常人と混じりあって、一つの生活と世界を作り出している。その世界には、古井が描きだすような異常さだとか不気味さは感じられない。精神医学の革命の夢想が一番顕著なのは、大団円の、登場人物たちが次々と死んでいき、食料と酒が精神病院に差し入れられ、極度の食糧不足に苦しんでいた病院に「祭り」がやってきてしまった場面だろう。職員の規律は緩み、患者に自由がもたらされたとき、精神病院の管理側と、患者の管理される側の逆転が語られていく。でも、たぶん、それ自身は、この小説の眼目ではないだろうな。