デカルトの身体

未読山の中から、シェイピンがデカルトと医学の関係を論じた論文を読む。文献は、Shapin, Steven, “Descartes the Doctor: Retionalism and Its Therapies”, British Journal for the History of Science, 33(2000), 131-154.

シェイピンはしばらく前からハーヴァードで教えている科学史のスター学者の一人で、初期近代の科学史研究にもっとも大きな影響を与えた学者の一人である。私自身も空気ポンプ論文などを熱心に読んだ。そのシェイピンが1990年代から、身体や医学の問題を論じるようになって、彼の講演を聞いたり論文を読んだりする機会が多かった。この論文は、その流れの中で書かれた、デカルトと医学の関係。

優れた思想や科学に対して、「それがなにをもたらすか」と聞くときに、「なに」に至るかに応じて、基本的には四つの聞き方がある。1) 徳をもたらすか、2)幸福をもたらすか、3)富をもたらすか、4) 健康をもたらすか、の四つである。17世紀の自然哲学者たちは、ベーコンにしろボイルにせよ、正しい自然哲学は健康をもたらすはずであるという目標設定を重視した。デカルトもその一人である。

デカルトは自然哲学が明かした長命の秘密を実践することに熱中した。自分の健康にも注意を払い、パスカルなど知人たちにも健康アドヴァイスを与えた。デカルトは長命の秘密を知ったのではと思われていたので、彼が54歳で死んだときに、友人たちには自然の死や病死ではなく毒殺されたと思われたほどであった。しかし、彼の健康を保つためのマニュアルは、当時のガレニズムの養生法とほとんど変りなかった。機械論哲学も新しい心身二元論も、新しい内容の医療を作ることはなかったのである。「デカルト以降の西洋近代医学」という言い方を昔はしたし、いまでも、ときどきその表現を耳にするが、そのクロノロジーには意味がない。