Scarry, Elaine, The Body in Pain: The Making and Unmaking of the World (Oxford Oxford University Press, 1985)
「痛み」という現象は、単純で、人間の原始や本能に関する主題に見えるが、そこには人間と世界と言語についての深遠な問いがあるという。その問いというのは、三つの主題に分かれる。
第一の主題は、痛みを表現することの原理的な難しさ。
第二の主題は、その難しさの結果として生じる政治上・認識上の複雑さ。
第三の主題は、何かを表現できることの、物質的・言語的の双方にわたる本質。
これら三つの主題は、三つの同心円のような関係にあり、第一の問題の中心に立つと、同時にその円を取り囲んで存在する第二・第三の主題の円の中心にも立つことになるという。痛みの研究は、その表現の研究であり、表現の困難に由来する政治と認識の研究であり、物質と言語の研究になるのである。
第一の主題は、痛みを表現することの原理的な難しさ。
第二の主題は、その難しさの結果として生じる政治上・認識上の複雑さ。
第三の主題は、何かを表現できることの、物質的・言語的の双方にわたる本質。
これら三つの主題は、三つの同心円のような関係にあり、第一の問題の中心に立つと、同時にその円を取り囲んで存在する第二・第三の主題の円の中心にも立つことになるという。痛みの研究は、その表現の研究であり、表現の困難に由来する政治と認識の研究であり、物質と言語の研究になるのである。
ヴァージニア・ウルフは、英語には痛みを語る語彙が少ないという。恋をした少女はその心を語る言葉を、シェイクスピアであれキーツであれ、豊かに持っているが、たとえば頭痛を医者に説明しようとすると、言葉はすぐに尽きて干上がってしまうという。ウルフは頭痛の例を出しているが、ガンの疼痛でも話は同じことであろう。さらには、言葉にうまく表現できないだけではなく、痛みは言葉を破壊する。「言語以前」ともいわれる、うめきや叫び声による痛みの表現は、痛みを言語以前の問題に設定する。