同じくワークショップからの記事。オクスフォード・ブルックス大学の Paul Weindling の報告を久しぶりに聞いて、彼がしばらく前から進行させている、ナチスによって人体実験をされた人々を調べる大プロジェクトの様子を知る。
戦後の調査や補償などの調査の膨大な記録からワインドリングのチームが明らかにしたところによると、これまでわかった範囲で、23,000人の人間が人体実験を受けた。その3/4弱がユダヤ人で、国籍でいうと、ポーランドやユーゴスラビアが多かった。この人体実験の件数は1942年に急増しており、対ソ連戦の開始と、そこで侵攻した地域で捕捉した人々が実験台になった。
ナチスによる人体実験というと、ジャーナリスティックな記述のせいで、強制収容所の密室で行われ、人間の尊厳を冷酷に踏みにじった凄惨で残虐なものを想像しがちである。たしかにそのような人体実験もあったが、このイメージは事実の全体像をとらえていない。多くは、マラリアを接種する実験や、発疹チフスのワクチンを作って効き目を確かめるなどの、「まっとうな」医学研究であり、たとえばベルリンのロベルト・コッホ研究所や、カイザー・ヴィルヘルム協会などの医学研究者たちと密接な関係を保っていた。実験の場所も、強制収容所だけではなく、ほかにも多くの施設で行われていた。
医療倫理の基礎となった戦後のニュールンベルク裁判が参照したのは、強制収容所で行われた凄惨な残虐行為というよりも、通常の医学研究の範囲で広範に行われていた実験であり実験的な治療であった。
日本の731部隊の人体実験は、研究の先端がどのようなものになっているかは知らないが、何冊かの本を読んだ記憶では、私の頭の中では凄惨残虐のイメージが先行している。実験の対象になった捕虜や政治犯などは、最終的には全員殺しているから、その意味で残虐だったことは疑いない。しかし、実際の実験については、ナチスが行ったような、「まっとうな」医学研究も含んでいたのだろうか。残虐とは言えないが、国内で実施することが難しい実験も含まれていたのだろうか。それとも、糾弾型の記述が言うとおり、凄惨な、ほかの状況では絶対にありえないような実験が多かったのだろうか。