イギリスの化学兵器開発と人体実験

Schmidt, Ulf. Secret Science : A Century of Poison Warfare and Human Experiments. Oxford University Press, 2015.
 
イギリスの化学兵器開発に関する生命倫理学の優れた仕事を拾い読みする。人体実験の主題で研究するときには、しっかり読もう。1915年の西部戦線で、ドイツが毒ガス攻撃を仕掛ける。その場所が第一次大戦の大激戦が闘われていたイプル (Ypre) であったため、フランス軍は毒ガス兵器をイペリットと呼ぶことになった。このイプルでの毒ガス兵器の利用は非人道的な行為としてドイツと敵対する国がいずれも激しく非難し、多くの国が毒ガス兵器の開発に取り掛かった。中立国であったオランダまで毒ガス兵器の開発をはじめていたという。
 
イギリスが毒ガス開発の基地としたのは、ポートン基地 Porton Down であった。1916年にこの軍事科学の研究施設で化学兵器の開発が始まる。ドイツは毒ガス兵器を開発した鬼畜であり、その鬼畜を処罰する正義の鬼畜となるためには、やはり総力戦の時代だから、国の最高の頭脳と優れた組織が必要である。すぐにケンブリッジ、オクスフォード、UCL といったエリート医学校との密接な関係が作られた。ケンブリッジなどから著名な教授が呼ばれ、その弟子筋の医学者たちとの連携がすぐにできて、強力な研究ネットワークが作られた。ポートン基地には、オクスブリッジのシニア・コモンルームのようなエリート学者の集会場のような雰囲気がつくられた。そして、そのネットワークと政治的な連携が作られた。この部分は、日本の731部隊と類似している部分が大きい。
 
もちろん、当初は動物実験だった。ネコやウサギが実験され、毒ガスの効果が測られた。しかし、対象が敵兵士であるときに、人体への影響を厳密に実験したいと思うのは、人道主義ではなく科学の厳密な発想に従ったときに当然である。同時に、国家の安全と個々の兵の生命の保全のバランスの発想において、戦争中にはそのバランスが前者に傾き、兵士を用いた人体実験が行われた。