念仏と狂気と往生

木曜日から土曜日まで続いた国際学会が終わった。日曜の午後は安楽椅子に座って、須永朝彦『江戸奇談怪談集』(ちくま文庫)をのんびりとめくってはうつらうつらする贅沢な時間を過ごした。その中で神谷養勇軒『新著聞集』の第十三「往生編」の「網曳利兵衛水に立終る」という小さな話をメモする。

阿波国・中郡の黒土村に手繰り網曳をなりわいとする利兵衛なる人物がいた。平生は狂人の様子で、単身無二の念仏者で、網を曳くにも口を閉じるひまなく称名を止めなかった。そのためか、他のものより魚を多く捕り、年を重ねても身体が能く動いた。利兵衛はある日親類をまわって、儂は今日往生する、この世の名残に盃を交わしたいと言った。聞く人は、例の狂気かと思いながら盃を取り交わした。利兵衛は親類に常に往生を唱えるように言い残したあと、海に立ち入ると、そのまま水中で立ち往生した。

この時代には精神病院はもちろん存在しないし、座敷牢はごく例外的な処置だから、精神病なり狂気なりと思われていた人物の大半は、隔離や拘束という処置をされていなかった。精神病の急性期は別にして、ある程度の安定的な状態に入ったものは、変わり者らしい行動をしながら平常の社会で単純な労働をすることができたこと、一方で周囲の人達は狂人に「話を合わせて」いたことがわかる。

この「話を合わせる」というのは難しい主題であると思う。一方でこれは相手の言うことを正直に取らない行為であり、軽蔑と無視を内に秘めて表面上で相手に合わせることである。いくらでも侮蔑的になる行為である。ただもう一方では、患者の世界観に乗りながらその行動を助ける行為でもあり、患者の状態を安定させ、大げさに言えば生活の質を高めるのになんらかの効果もあるかもしれない。逆にいうと、この「話を合わせる」ということは、狂人と分かったものと長いこと付き合うと自然発生的に身に着く態度なのかしら。