横溝正史「面影草紙」と人体模型

金田一耕介で有名な横溝正史が書いた作品には、医学、病気、遺伝の主題と深い関連を持つものが多い。凶悪な犯罪者の遺伝についての優生学的な発想も重要であるし、死体、病気、損壊された人体、障害を受けた人体についてのグロテスクな記述も当時流通していたイメージやその構成を示唆してくれる。医学史の研究者は、『獄門島』では精神病者の私宅監置が重要な背景であること、『仮面舞踏会』では色盲の遺伝と退化論が謎解きと鍵であること、「かいやぐら物語」「湖泥」でガラスの義眼が雰囲気づくりをする小道具になっていることは知っておいた方がいい。なぜ横溝作品に病気と医学のイメージが多用されるのかはもっと研究しないとわからないが、探偵小説の初期にはイギリスのコナン・ドイル、日本の小酒井不木など、医師の経歴を持つ作家が活躍したことは間違いなく直接の人的な理由になるだろうし、認識論的な話では、カルロ・ギンズブルクが言うように、徴候から診断と病気の確定にいたる医学の知のあり方と、証拠から真犯人を割り出す探偵小説の基本が類似しているという理由があるのは確実だろう。

もともとは別の短編(「蔵の中」)を読むつもりで買った同名の文庫に入っていた別の作品「面影草紙」(1932)からメモ。考えている問題とは関係がないので、今のところは単純な知識の断片にしか見えないが、少し調べたら面白い問題になるかもしれない。大阪の老舗の薬種商が舞台で、その薬屋は先祖伝来の「奇明丸」という名薬を売っていたが、日露戦争後に西洋化の波に乗って医療器械の商売を始めるようになり、その中の人体模型がストーリーの中心にある小道具である。その人体模型は、基本は骸骨であり、おそらくそこに内蔵の部品なども入っているのだろう。それについて、<このごろは島津製作所の一手専売のようになっているが、当時は方々に職人がおり、難波の大芳が作る模型は、本当の人間の骨だとされていた>という記述がある。横溝自身が薬学を学んだという経歴を持つから、薬種商が医療機器ビジネスへ拡大したこと、当初は職人が多くいたこと、島津製作所の市場支配に移ったことなどは、なんらかの事実を含んでいるのかもしれない。