キットラーと精神医療のメディア(媒介)

Winthrop-Young, Geoffrey, Kittler and the Media (Cambridge: Polity Press, 2011)
王子脳病院の症例誌分析をする中で、ある個所においては、20世紀前半についてのメディア論が本格的に必要になったので、メディア論を読む。フリードリッヒ・キットラーは、『グラモフォン・フィルム・タイプライター』[1986年]が翻訳されただけでなくちくま学芸文庫で文庫化されて「モダン・クラシックス」の仲間入りをした文学研究者・メディア論者である。奇矯な意見や難解な議論で悪名高いキットラーの入門書を志したのが本書で、イントロダクション、人生を概観した章、そして問題のメディア論を解説した部分を読んだが、私はとても分かりやすく読んだ。入門書のお手本のように魅力的に書けている。分かりやすく解説したあとで、「キットラー流にこれを言うと、『~~~』のようになる」という説明の仕方がいい。

20世紀前半の精神医療をみていると、メディア革命の大きな影響を受けていることがありありと分かる。基本的には、かつての医学書という「書いてある内容」が最も重要であったレジームから、写真や複製などのメディアを通じて「書いた作品そのもの」を取り込むことができるレジームに移動する時期であった。日本の精神医学教科書では、呉秀三らの本格的な教科書とともに新しいレジームへの移行が起きている。そこでは、患者の姿勢、表情、行為などはいうまでもなく、「何を書いたのか」という内容よりも、「どう書いたのか」を伝えようとする筆跡や書字作品の写真・複製が精神病の徴候として現れるようになる。

それとどう関係があるのか分からないが(笑)、精神病院というのは、膨大な書字記録を生産させ保存する空間である。特に重要で量も多いのは、患者についての症例誌である。一人一人の患者について入院時に作られて、それから一日ごとに医師と看護人によって日誌の記録が作られて蓄積されてゆき、最終的には一人の患者ごとにまとめられた資料である。同じ患者が複数回入院すると、過去の記録に新たな日誌を足してまとめることが行われる。この日誌は病院の中を持ち歩かれ、医師の回診の時には持参されて、おそらくその場で記録されたと思われる。患者の視点からみると、自分の行動や発言が記録されて症例誌に組み込まれているのを、日々目撃して経験しているということになる。

「狂気は、我々に語らしめる規則・プロトコル・制度について、強迫的に間断なく語ることである」とキットラーが言う。正常とは自分が言うことをコントロールできることであり、狂気は、それができないかわりに、自分を語らしめている何かについて場所と所をかまわず語ってしまうことである。この部分は憶えておこう。