ドイツの貧民向け医学的学知の位置づけ

Hammond, Mitchell Lewis, “Medical Examination and Poor Relief in Early Modern Germany”, Soc Hist Med (2011) 24(2): 244-259.
ドイツの小都市ネルドリンゲンの資料を用いて、医師が比較的貧しいものを診断・治療するときのありさまを分析した論文。短い論文だが、近世から近代の医学史研究にとって非常に重要な問題に光を投げかけている。この論文を知っておいてよかった。

初期近代における医療の上層部については、これまでの研究が多くを明らかにしている。つまり、初期近代のエリート医師たちがエリート患者をどのように理解してどのような治療を行ったのかという問題は、医師たちが書いた症例録や症例誌 (historia) が大量に存在し、それらの分析からガレニズムに基づいた生活の実践の思想に沿った理解と治療が明らかになっている。それに較べて、あまり分かっていないのが、比較的貧困な患者の理解と治療である。内科医は富裕層だけが利用したと考えるのは大きな間違いであることが明らかになっており、正しくは、<富裕層は、内科医を常態的に用いており、しばしば別のタイプの医療者も利用した。貧困層は、別のタイプの医療者を常態的に用いて、時々内科医が利用された>というのが正しい。内科医が貧困層をどのように理解・治療したかという問題は、医療における近代がいつ始まったかという問いの中枢にあるフランス革命期の臨床医学の転換の問題とも関係がある。

救貧の文脈において、患者の病気を特定してそれが貧困の原因であることを特定する仕事もあったが、より重要であったのは、感染症の問題であった。具体的な病気はペスト、梅毒、そしてハンセン病である。ペストの流行は常に警戒されており、ある熱病患者がペストであるかどうか確かめるために丁寧に診察する仕事は重要であった。梅毒とハンセン病については、特にハンセン病と診断された場合、街の中への居住の禁止や財産や市民権などの変更という重要な事態となり、梅毒との類似も指摘されたので、これらはエリート層の診断のような詳細な診断の対象となったという。

これはとても重要なポイントである。私たちは、西洋の近代医学のはじまりを、1800年近辺のパリの病院の臨床医学革命と考え、病理解剖学と貧民の症状と身体内部へのまなざしの浸透によるものだとしている。この論文が示唆している方向は、ハンセン、梅毒、ペストにおける「プロト近代医学」の形成という方向だと思う。