『黒死館殺人事件』とリボーの記憶障碍論

黒死館殺人事件』は1934年(昭和9年)に小栗虫太郎が『新青年』に発表された探偵小説で、その衒学趣味のために伝説的な奇書である。衒学趣味は文学・歴史・オカルティズム・占星術など広い範囲に及ぶが、科学技術と医学、特に精神医学も重要な領域である。私自身はこの書物を読み通すことに失敗しており、いまだに話が分からない部分が多いが、私の理解した範囲では、登場人物の一人であるダンネベルグ夫人が「リボーの第二視力者」であると同時にヒステリー性の幻視能力を持つ人物であり、ヒステリーに陥っている期間にその手が自働書記を行うというのがトリックの一部になっている。ここで言及されているリボーというのは、もちろん19世紀末フランスで活躍した心理学者のThéodule-Armand Ribot(1839-1916)である。調べてみたらリボーの著作の英訳の多くがネット上で読めるので、とりあえず『記憶の病』を読んでみた。「第二視力者」は書いてなかったけれども、記憶が欠如する症状でなく記憶が通常より多く現れてしまう現象について面白いことが書いてあったのでメモ。

 

 

記憶が通常より多く現れる現象は hypernmesia という英語があてられている。Revivification と呼ばれている現象である。たとえば、死ぬ前にそれまで生きた人生のすべてがごく短時間に生き生きと現れるという現象、ド・クインシーの『麻薬中毒患者』を引いて、麻薬の効果でくっきりと思い出された過去の心象について、通常に覚醒しているときであれば過去の経験とは分からない現象が記されている。アバークロンビーやカーペンターを引いて、幼い時に一度会っただけですぐ死んでしまった母親の肖像画を見て母親を「思い出す」現象、コールリッジを引いて言語を思い出す例が触れられている。麻酔をかけられて、子供のころに話すことができた言語を思い出す例も引かれている。これを、リボーは「破壊が進行して現れる現象」だと考えているのが面白い。精神構造が全体として健康な時には通常の部分が前景にあって活動しており、ある記憶については抑圧されているが、不健康になって通常の部分が失われると、もともと後景にあったより弱いものの活動が現れるというのである。これらの revivification のモデルは、死であり崩壊であるのである。

 

・・・すごく面白い。正直言うと『黒死館殺人事件』よりずっと面白い。憶えておこう。

 

リボーの著作は Diseases of Memory: An Essay in the Positive Psychology, translated by W. Huntington Smith (New Yorok: D. Appleton and Company, 1887) ここで読むことができます。

 

 

http://bit.ly/1gvPdo4