江副勉・台弘「戦後12年間の松沢病院の歩み」『精神神経学雑誌』vo;.60, no.9, 991-1006: 1958.
精神医学史の中で著名な論文の一つ。戦後の松沢病院における記録とヴィジョンの双方を記したもの。大きな一連の改革と新しい気運についての記録であると同時に、どん底から希望と情熱に燃えて再出発した新しい精神医学のひたむきさを感じることができる。当然のように、何が事実で何がヴィジョンかには気をつけて読む必要がある資料だが、ファシズム時代を終えて民主的な精神医学への情熱が満ち溢れるような論文であり、これを読むのが嫌いだという精神医学者はいないだろう。そこからメモ二つ。
一つは無断出院について。(996) かつて精神病院は病院というよりも保護収容施設的な色彩が濃厚であった。患者は治療のためよりも、社会公安上の観点から精神病院に隔離されるといった方が適当であった。これでは精神病院が半刑務所的になるのは当然であり、患者の無断出院が精神病院での重大事故として取り扱われてきたのもやむをえないことである。以前は患者の無断出院のおりには、看護者に始末書を書かせた。しかし、この処置は、看護者のあいだに、過度に警戒的になり患者を病院内に瓶づめにする態度をとらせることとなった。
もう一つは患者共同体の中である患者が際立った個性を持つこと。昭和32年の患者自治会において、150人の患者が参加して、医師と看護者は傍聴者であった。議事の中に「恋愛自由」の問題が持ち出されて、これはどうなることやらと傍聴の筆者の気をもませた。しかし、この議事は、会議の空気を和らげ、自由な発言を促す上に大いに効果があった。在院患者間の恋愛の自由は、院内においても当然認められるべきだとする一女性患者の勝玄、この点について作業医長の見解如何と促す男性患者、他人の恋愛について周囲が尾ひれをつけて騒ぎすぎると嘆くものがあったのち、最も過激な論を吐くと予期されていた一精神病変質者が、恋愛は退院するまで待とうではないかと発言して、過半数の出席者から同意の洪笑と拍手をうけてけりがついたのであった。