アマゾンのゴム採集とマラリア

 

Stepan, Nancy Leys, “’The Only Serious Terror in These Regions’: Malaria Control in the Brailian Amazon”, in Armus, D. (2003). Disease in the history of modern Latin America : from malaria to AIDS. Durham, NC, Duke University Press, 25-50.

 

2003年に出版された書物。ラテンアメリカにおける<新しい医学史>の登場を英語で発信したもの。それから10年以上が経ち、同じような書物が近現代の日本を対象にして編集される機は熟している。

 

重要な書物を何冊も出版しているナンシー・ステパンが20世紀初頭のブラジルのマラリア、特にアマゾン地域のゴム採集者のマラリアについて、当時の社会経済的な状況とつなげたお手本のような論文を書いている。1900年から1920年のブラジルで、ゴム採集のにわか景気を現れた。輸出作物の約50%がコーヒーで、それに次いで30%弱を占めていたのがゴムであった。このゴムは、ジャングルに自生するゴムノキの表皮を傷つけて樹液を採取する方法で、そのために19世紀末から50万人がアマゾン地域に労働者として移住した。彼らがマラリアにやられて、疾病にかかっているものの80%がマラリアであるというような大流行が発生した。ブラジルではシャガスをはじめとする優れた研究者もおり、詳細な調査が行われた。そこで明らかになったのは、熱帯性の苛烈で死亡率が高いマラリアであり、当時の最も重要な薬のキニーネに耐性を持つ原虫であった。しかも、ゴム園のような管理されたプランテーションではなく、ジャングルの中に分け入ってゴムノキを探し、その近くに劣悪な住居を作って住むという労働状態で、当時のマラリア対策の手法での対応が非常に難しかった。しかし、第一次世界大戦中にこのゴム採集が急落したため、アマゾンのマラリア対策は解決されないままブラジルの人々の意識から消滅して、次のアマゾンの開発で再び問題になるという構造となった。これをステパンは Marcos Cueto の言葉を用いて貧困国の recurring burden と呼んでいる。

 

なお、第二次世界大戦中のアマゾン地域のゴム採集労働者についてはネット検索で『サンパウロ新聞』なる日系ブラジル人の新聞から面白いエピソードを見つけたので付記する。太平洋戦争の開始とともに、日本軍がマレーシアなど東南アジアの重要な天然ゴムの生産地域を占領したため、アメリカはゴムの供給地を求めて再びアマゾンに5万人以上の労働者を送り込んだ。その際に提示した労働条件は偽りで労働者たちに大きな被害が出た。新聞を引用すると、「労働者には十分な食事から土地まで提供するといった好条件が提示されたがこれらの多くは偽りで、ジャングルでの過酷な労働に耐えて終戦後に生きて故郷に帰った労働者の数は全体の半分以下だった」とのこと。この非常に高い死亡率の大きな原因はおそらくマラリアだったのだろう。アメリカは元労働者とその子弟に対して賠償金を支払い、現在でもその継続が問題になっているという。

 

サンパウロ新聞』の記事はこちら。

http://www.saopauloshimbun.com/index.php/conteudo/show/id/20785/cat/1