南米スペイン植民地におけるマラリア薬抽出プロジェクト

Crawford, M. J. (2014). "An Empire’s Extract: Chemical Manipulations of Cinchona Bark in the Eighteenth-Century Spanish Atlantic World." Osiris 29(1): 215-229

 

マラリアの治療薬と化学の関係についての面白い論文。1790年にスペイン王が南米に植物学者―化学者を派遣して、キナノキの樹皮からマラリアの治療薬(キナ)として用いる抽出物を取り出す企画を行ったことについて。派遣された町は、現在の国名ではエクアドルとペルーの国境近くにあるロハ (Loja)である。

 

化学の歴史を帝国と結びつける視点がまず面白い。自然誌と植物学については、Colonial Botany という言葉もあるように、長期的な意味でのヨーロッパの帝国建設と密接に結びついており、研究も数多くある。その植物の用途の一つに、そこから薬品の原料を取り出すことがあったのだから、それと組み合わせて化学の歴史も帝国主義と結びつけることができるだろうという議論である。この学者が植物学者/化学者 botanist-chemist という称号をスペイン王室から与えられていることも、植物学を媒介にして化学を帝国研究の中に組み込むことができることを示唆している。

 

スペイン王室の狙いは、この地域で生産され、ヨーロッパの各地に輸出されていた薬用のキナノキの樹皮の生産と輸送をスペイン王室の側で統轄して合理化することであった。キナノキの樹皮の生産はそれまで地元のクレオールのエリートが行っていたが、そこにスペインから直接派遣された科学者を送り込むことで、王室が統轄できる仕組みを作ろうとしたのである。また、キナノキの樹皮を南米大陸を超えて運び、さらに大西洋を越えて運ぶことは、非常な手間とコストがかかっていた。これを生産地で抽出物にして、それを輸送すればより効率的になるし、これまで廃棄されていた質が低いキナノキの樹皮も利用できる可能性がある(このあたりが良く分からない)

 

しかし、このプロジェクトは成功しなかった。技術の問題、特に抽出用の器具が現地で入手できなかったという問題もあるが、それ以上に、当時キナノキの樹皮を利用するさまざまな職業の人々が複雑な文化をすでに作っており、それと衝突したということがある。薬剤師たちは、キナノキを見てよい薬品を取ることができるものを見分ける文化を作っていた。スペイン王が命じたのは「エクストラクト」だが、「ティンクチャー」や「インフュージョン」など、さまざまな手法がすでに各地に現れていた。そこには informal circulation of chemical practice が存在した。このため、このスペイン帝国の周縁での化学的操作はうまくあてはまらなかったのである。

 

これは私の力不足で当時の化学と薬学の技術的な側面についてよく分からない部分が多かった。用語も「キナ」と書くと英語ではキナノキから取った薬のことをさすが、日本語ではキナノキの仲間のことをさすなど、どう表記すれば分からないことが多かった(日本に導入されたのは、1820年代に「キニーネ」というアルカロイドの化学物質が特定されてからで、「キナ」の時代には輸入がなかったのだろうか?)力不足を恥じる。