『男女淫欲論』(明治12年)と閉じた系のエコノミーとしての男性の性に関連する疾病

扶徳氏撰『男女淫欲論』片山平三郎訳(東京:うさぎや誠、1877-1879)

 

明治初期にアメリカの書物から翻訳された性医学書。著者の「扶徳」というのはアメリカの医師・医学著者の Edward Bliss Foote で、この書物は、Foote による Plain Home Talk というタイトルがついている一般向け医学書・健康書を訳したのだと思う。ただ、初期近代からの一般医学書によくあることだが、このオリジナル自体がとても複雑な経緯を持っているらしいので、詳しいことは調べなければならないだろう。また、国会図書館の記載が不分明だが、もう一人かかわっている著者は Henry Jordan というアメリカの医師で、彼が書いたものを訳したものは明治9年に『造化秘事』というタイトルで出ている。訳者の片山もスウィフトのガリヴァーを訳しているほかに、Footeの他の書籍を訳している。すでに十分複雑だが、『造化秘事』は上野千鶴子が取り上げて論じた著名なテキストでもあるし、どこかで研究されているのだろうか。

 

問題は、その続編を読んでのポイント。まず続編は男経、婦経、精液漏、病症例の4つの章からなる。「経」というのは、お経や経典などの経という意味であろう。内容は生殖器の解剖的な構造と機能の説明、そしてそれに関連する疾病や不調の話になる。重要なことだが、両者の間にはいちじるしい不均衡があり、男経は長く詳細なのに比べて、婦経は短く説明は著しく薄い。少なくとも翻訳のこの部分については、基本的には、男性向けの書物になっていることがわかる。扱われている病気が精液漏であり男性の病気であること、また「病症例」として挙げられている患者の記録がすべて男性であることも、男性向けに書かれた書物であることを語っている。

 

記述は、男性中心主義的という言葉ではうまく表現できないが、「分離された領域」という文化社会的な概念で区切られて女性と切り離された男性の性と身体についての考察である。閉鎖された液体の流れのシステムの中で考察された性と身体であると言ってもよい。だから、男と女の両性の間に存在する性と生殖を捉え、その部分の欠陥によって疾病が生まれるというより、男性の体内の現象の乱れと捉えられている。心臓を中心に血液が流れるというモデルと同様に、睾丸を軸に精液が流れるという男性身体がある。血液が希薄化・純正化されたものが精液であるというのはガレノス以来の考え方であり、この時期の一般向けの医学書であれば、まだこの考えが大手を振って歩いていても驚かない。この睾丸が傷ついたり病気になったりして切り取られると、男性は茫乎として痴呆状態になり夭死する。陰茎についても同じことが言える。精液漏の病人たちが抱えている問題は、女性との性交ではなくて手淫である。女性との過度の性交が場合によっては有害であるというが、しかしその危険は手淫のそれよりもはるかに小さい。男性の問題は、睾丸や陰茎を失って痴呆化することであり、手淫のために精液漏になって不健康になることである。両性の問題ではなく一つの性のエコノミーの問題であると考えられる。

 

国会図書館のデジタルライブラリーで読める。そこから拾ったタイトルページと画像を一つ。

 

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