昨年度から慶應の1・2年生を主体とした一般教養の「歴史学」の授業を英語で講義している。それについてメモ。 同じように英語での講義に対応している教員は多いだろうし、他の外国語での講義をはじめている教員も多いと思われるので、何かの参考になれば。
- 講義の内容と構成
昨年度は「狂気・精神疾患と精神医療の歴史」、今年度は「疾病の歴史」である。地域としてはどちらもヨーロッパが中心で、春学期は古代・中世・初期近代、秋学期は近現代になる。秋学期の授業には、日本、アメリカ、ヨーロッパの旧植民地などの話題も織り込んでいる。
- 主題の提示
今日の講義の structure of argument という題目で、冒頭で講義のポイントを二つから四つ程度にしぼって提示して、それからそれぞれのポイントを具体的に史実を織り込んで説明している。もちろん歴史学の講義だから史実は重要だが、その解釈と議論の論旨をより重視した内容である。
- 毎回書くエッセイ
講義は慶應では90分で、そのうち最後の20分ほどで、short essay を課している。長さとしては、B5一枚程度である。学生が実際に書く字数で言うと100語から300語程度で、平均は200語弱だと思う。
このエッセイは、冒頭で何を書くか、課題を提示する。学生としては、何を書くかを念頭において授業を聴くことになる。ここが議論が分かれるところだと思うが、どのような構成のエッセイを書くか、こちらで明確に指示する。例を挙げると、「結核に関して、四つのパラグラフでエッセイを書きなさい。最初のパラグラフで全体を要約し、第二段落では結核の広がりと増加を説明し、第三パラグラフでは、19世紀のイギリスにおける減少の原因についてのマキューンの説明を、第四パラグラフでは、それを批判したスレーターの説明を要約しなさい」という課題や、「移民と疾病について、三つのパラグラフでエッセイを書きなさい。冒頭で内容を要約し、第二パラグラフでは19世紀末から20世紀初頭のアメリカにおける移民と疾病のコントロールの関係をまとめ、第三パラグラフでは<腸チフスのメアリー>の事例を説明しなさい」という課題である。
- エッセイの性格について
これらのエッセイは、基本的には、講師が話した内容を、まとまりごとに内容を要約するとそのまま書くことができる、シンプルなものである。講師が示した道筋に従って、講師の話を出てきた順番に英語でまとめるという作業は、たしかに水準が低いのかもしれない。それよりも複雑な知的な操作が必要なエッセイを課したこともある。事例を提示して概念的な説明をして、それらを抜き出して概念ごとにまとめてエッセイにするという課題である。もちろんこれをこなすツワモノも1割程度は存在売るが、難易度が非常に高いエッセイになり、1・2年生が毎回の講義のあとにこなすのにふさわしいとは私は思わなかった。
- 採点と返却について
ここも議論が分かれるところであり、私自身が春学期末の学生の要望に応じて始めたことであるが、エッセイは採点して週ごとに返却している。内容と英語についてのコメントは一切付しておらず、0-5-10 の三段階の採点がついているだけである。コメントがないのは、たしかに講師の怠慢といえば、その通りである。しかし、毎週200枚超の答案に一つ一つコメントを付すことは、私にとっては実質上不可能である。一方で、手早く採点して、その結果を学生に知らせることは、こちらが想像していた以上の意味があることであると思う。
- 「手ごたえ」について
手ごたえは、非常にある。出席状況、授業態度、エッセイを書く態度などについては、きわめて熱心で集中力を感じることができる。寝ている学生は、皆無に近い。エッセイの出来も、ほとんどの学生において、はっきりと向上する。これは、こちらがコメントをしなくても、エッセイをきちんと構成して書くことが習慣になることの効果であると思う。
- これからの改善点
まずは、こちらの英語の説明がより上手になることが最大の案件である。しかし、講義ノートを作ってそれを読み上げる方式に対しては、私は感覚的な違和感を持っていて、これまでやったことがない。PPTは非常に簡単なメモだけである。これは、それを書き写すとエッセイになってしまうという安易な構造を避けるためである。だから、PPTにおける簡単なメモと、実際の講義の間をつなぐ、中間段階のやや発達したメモに、インパクトがある文章やフレーズなどを覚書としてつくっておくのがいいのではないかと思う。
昨年度、今年度と、ある意味で英語で講義を成立させるのに精いっぱいで、史料テキストを提示して読み解くこと、統計を提示して解釈すること、画像や動画を提示して解釈することなどを入れる余裕がなかった。 これらを取り入れると、よりよい授業になると思う。