Andrews, Malcolm. Charles Dickens and His Performing Selves : Dickens and the Public Readings. Oxford University Press, 2007.
実佳と話していて、英語の講義、朗読、メッセージなどについて色々と情報を出しているうちに、ディケンズについての面白い話を聞いて、本を借りて少し読んでみた。ディケンズのもう一つのキャリアとして朗読者というものがあったこと、各地で講演をするときに自分の作品を朗読したことなどを知った。彼の晩年においてイギリスやアメリカの各都市を訪れ、2,000人ほどの聴衆に向かって、2時間ほど朗読したという。一覧表を見ると、私が知らない作品ももちろんあったが、クリスマス・キャロルが一番人気で、それ以外にも有名作品が多い。自分が好きな作品をその作家が朗読してくれるというのは、どんな印象を持つのだろうか。
それとどう関係があるのか分からないけれども、英語の講義についてメモ。2019年度は新しい方法を試してみて、そのために失敗した部分が大きい。講義の原稿を作り、それを読み上げるというスタイルを一年間試してみた。講義が原稿朗読だったのである。途中で感じていたのだが、やはり失敗した。理由は、ほぼ間違いなく、学部の講義と原稿の朗読という二つの要因が合わないからだろう。日本でもイギリスでも、素晴しい先生たちの名講義を聞いたが、朗読された講義など聞いたことがない。もちろん多くの先生がノートを持っていたけれども、それが朗読されたという記憶は持っていない。そのノートには、細かい年代、史実、そして重要な概念などのメモが英語で書いてあり、そこから講義を組み立てながら話してみよう。
もちろん lecture という英語のもともとの意味は「テキストを読み上げること」である。だからそこにテキストの原稿があるということも歴史的な事実である。しかし、テキストだけではないはずである。解剖学の講義の折には、16世紀のイタリアになると、テキストの朗読はあったが、それは助手の仕事で、教授はその読み上げを背景にして解剖中の死体を指さして説明するという、より重要な仕事をしていた。私の授業でも重要なポイントの要点は PPT に書いてある。やはり朗読すべきでなく、その場でポイントを講義するべきなんだろうと思う。