日本語原稿と英訳原稿

色々な事情が重なって色々な企画ができるというのは本当である(笑)故金森先生のご逝去に関して、彼の業績に関する知的なまとめの議論を示し、それに日本の医学史研究の発展を合わせて論じるというよくわからない話である。一番大きな難題は、それを一流の国際誌に英語で提示することである。かなり難しいが、私たちはその企画を実現するために頑張っている。

その中で一つの大きな問題が、日本語で素晴らしい原稿を書くことと、それを英訳することである。例外なしに全部の学者が英語が書けるようになればよいというのももちろん正しい議論である。私もそう思う。しかし、そうでない学者もたくさんいる。私の在任中にはそんな世界は実現しない。あるいは、プロフェッショナルな翻訳サービスに頼むという方法もあるだろう。二言目にこれを出す日本語執筆学者もいる。私はお願いしたことがないのでわからないが、うまく使っている人もいるのだろう。

私は、学者の共同体の中では、現在の段階では、できない言語への翻訳を、あるチームの中で面倒を見るのがよいと思う。これは直感の問題だけど、英語執筆能力は広がっていくだろう。ことに、文学研究や文化史などは、学術的な言語が二つできると素晴らしいことになる。しかし、現段階では一つだからと言って、共同体からはじかれてはいけない。共同体が助けなければならない。もちろん、いつまでも一つでいい、誰かが必ず助けてくれると思い込むとしたら、それは私から見るとほとんど卑劣な思い込みである。ごく近い将来に二つの学術言語を持つこと。そのようなことを考えて、若手学者の日本語原稿を私が英語に訳してみました。この仕事もあと少しです。

あと1パラグラフで英語6,000語の論考の第一原稿が終わる。故金森修先生の日本語の単著16冊を書評して全体像を描いたもの。ファースト・オーサーはもちろん奥村君 で、大変な仕事をしてくださいました。有難うございます!

私の仕事は奥村君の原稿を英訳すること。日本語で素晴らしい原稿を書ける研究者と、それを英語に直すことができる研究者の組み合わせです。時々プロフェッショナルの翻訳者に依存する方を見ますが、私は研究者同士のコネクションがいいと思います。

このことは、奥村君と私が故金森先生に対する甘々のお世辞文ばかり書くことを意味しません。同じ雑誌の特集号に私が書いた別の論文もありますが、ここでは、尊敬する故金森先生のあるご著作に対して非常に批判的な議論を提示しました。