エコノミストで、テキストと音声について面白い内容の記事を読む。記事の内容は、PCという情報端末の普及と進化にともない、人々が外界に出す指示の方法が変化するということ。古くは利用者がキーボードの端末から入力していたが、これからは音声で指示を出すことができるだろう、そしてこのようなアプリと端末をアメリカの amazon が開発して売り上げは好調とのこと。そのうち日本にも来るだろうから、ちょっと楽しみにしている。エコノミストの記事はこちら。
デジタルから音声へという動きは、私自身も、少なくとも部分的には取り入れている。ただ、1963年生まれの私の世代で、卒論は手書きで原稿用紙、修論と博論はデジタルという経験をしていると、どうしても手書きの部分が残っているし、重要である。特に、公の場に発表する原稿は、必ずいったん手書きで議論をまとめる。ちなみに、この原稿を構成するときにも手書きでメモを取っている。(文末画像を参照してください)手書きの効果だけれども、私にとっては、概念の構成を紙の上という空間で表現してみると的確な構成になる(あるいはなったような気がする)ということだと思う。しかし、この文章で本当に書きたいのは、音声メモの話だから、それを云々することはしない。
自分が読んだ本の内容や議論や事実などをデジタル化することから、私はとても大きな恩恵を被った。ソフトでいうと、ワード、エクセル、データベースという基本ソフトである。記録、保存、検索、計算、カテゴリー別組織化など、これらのソフトの機能なしでは、学者としてのさまざまな仕事はできなかった。最近は、まさに今使っている Evernote がとても便利だと思って使っている。検索とカテゴリー分けを向こうがやってくれて、自分がいったんメモしたことの中から何を使えばいいのかを提供してくれるというのは、ちょっとした衝撃だった。ワードで5,000ページくらいの「読書ノート」があって、論文や書物の内容と解釈がまとめてあるが、この春休みにはその内容を Evernote に移行しようと思っている。
最近、色々使ってみているのが、音声メモである。基本の使い方は、ワードや Evernote でメモを取るのと同じで、本や論文や資料に書いてあった内容をメモするためである。いちいちワードや Evernote を立ち上げるよりもずっと時間が掛からないと思う。ただ、この音声メモも、それを時間をまとめて再生して、そこから最終的には 粗いテキストにして Evernote にメモするようにしている。この部分が二度手間だなと感じていて、音声から自動的にテキスト化できるといいと思っている。ただ、それはそれで難しいらしい。