感染症の致命率と保菌者

東京市役所. "東京市防疫報告." In 近代都市の衛生環境【東京編】, 1941.

昭和戦前期日本の感染症の論文の仕上げ。見ていた史料に「致命率」case fatality rate CFR という指標を見つけた。伝染病予防法の10種感染症であれば、患者数と死者数が分かるから、計算は簡単である。そこで掲げられているのは、東京市昭和7年から16年の値である。この値が着実に減少し、感染症によっては半分以下になっている。大いに楽観的になってよい数値である。このことが、当時の日本や東京などの衛生が、「強気に」展開した原因であることが少しわかった。

感染症の患者数自体は、大正昭和期には楽観していい状況ではない。明治期のコレラの大混乱は収束したが、大正昭和戦前期には、赤痢や腸チフスが減らない状況、あるいは増加する状況が続いていた。赤痢も腸チフスも保菌者を出す。この保菌者というのが、当時は非常に問題であった概念であった。保菌者は、無症候であるのに感染させる能力を持つから、危険な感染源である。これで結局のところは死ぬまで伝染病隠に監禁されたのがニューヨークの「腸チフスのメアリー」である。1980年代に大衝撃を与えた HIV/AIDS の保菌者を特定するために、ゲイを検査するかどうかをめぐる論争を踏まえて、アメリカの医学史研究者のリーヴィットが優れた書物を書いている。

なお、2016年に物故した金森修先生は、もちろん優れた学者であったが、彼がちくま新書から2006年に刊行した『病魔という悪の物語』は、リーヴィットの書物の内容を剽窃することにやや近づいている。金森先生は同書の執筆においてリーヴィットの書物に大いに依存していることを冒頭できちんと書いているが、きちんと書くと剽窃めいた書物を刊行してもいいことにはならない。少なくとも、それは指導的な学者がするべき立派なことではない。金森先生の書物を再刊していない筑摩書房の判断は正しいと私は思う。

話を戻すと、日本の対応は、ニューヨークの対応に較べると、非常に甘い。赤痢や腸チフスの保菌者は、トイレを分けるとか専用のタオルを使うとかの処置をされて、あまり深刻に対応されていない。コレラの保菌者への対応はずっと真剣であるが、赤痢と腸チフスは甘々であるし、保菌者や家族も従っていない。だいたい、患者専用のトイレを作れとかいう話は何を考えているのか分からないし、ほとんど従われていない。患者数自体は増えているのに、どうしたのだろうと不思議に思っていた。

その一つの答えが、致死率の劇的な減少である。ほぼ10年間で赤痢ジフテリアの致死率はほぼ半分に、腸チフスも2割減である。赤痢の患者は1万人から1939年にはほぼ3万人と激増しているし、ジフテリアも3,700人から7,000人に激増しているが、致死率はかなり下がっていることになる。死亡患者などは変わらないし、実は増えているものもあるが、強気で行くことにした方針の一つの根拠が分かった気がする。問題が患者も死者も減少していくという解決の方向に向かっている兆しといえるものは、確かにあった。

 

東京市の法定伝染病の致死率 1932-1941 

  1932 1933 1934 1935 1936 1937 1938 1939 1940 1941
赤痢 31.88 28.35 25.48 23.36 22.49 18.69 16.38 16.26 16.53 16.28
チフス 18.21 20.13 19.08 17.73 19.21 18.61 18.31 14.76 14.64 15.05
ジフテリア 16.16 16.11 13.55 12.87 11.2 11.57 10.59 10.94 7.83 8.61

 

Leavitt, Judith Walzer. Typhoid Mary : Captive to the Public's Health. Boston: Beacon Press, 1996.