保菌についての史料を読んでいたら、満州でペストを保菌している鼠を研究した論文が出てきた。執筆者は春日忠善(かすが ちゅうぜん)1940年に「ペスト沈降反応の特異性に関する研究」という博士論文で慶應義塾大学から博士号を得ている。没年近くだとおもうが、1990年に3ページくらいの追悼記事が書かれているのでそれを後から読む。731部隊と関係が深い人物である。個人を焦点にした研究はないようであるが、ネット上では、731部隊に所属していたが、戦後に栄誉ある職を歴任して多くの学術賞を受賞したことで批判されている。また、731部隊の研究で優れた業績を上げた常石敬一が『戦場の疫学』の脚注で、この論文を含めて春日に何度も言及している。哀しいことに、この書物の5章は、本文と脚注の構造が崩れていて、脚注11を超えると、本文に註が打たれていないのに脚注だけが現れるという宜しからぬことになっていて、常石が何を言いたいのかよく分からない。
ペスト 抗 Env. P 沈降素血清が、ペスト感染動物臓器の加熱食塩水浸出液ともに、特異的に反応すること。保菌ネズミの検査法のうち、最も優秀な方法であること。この2点が主たるポイントである。
731部隊の犯罪として、中国人やソ連人の捕虜や政治犯で人体実験を行ったことが最も悪名高いが、その様な人体実験を行った理由は、主にペストを用いた生物兵器を開発し、実戦で用いたからである。731部隊の特徴は、生物兵器としてペストを用いる作戦を、詳細にわたって考えていたことになる。そう考えると、この春日論文の幾つかの部分が説明しやすい。実際にペスト流行があった村の患者がいた家屋、村から捕まえたネズミ、周辺の村で捕まえたネズミが、ペスト保菌状態になった状態でそれを迅速に検出する方法の開発という論文の目標は、たしかに生物兵器の効果を空間的に把握する目標とつなげて考えることができる。それから、いくつかのペスト菌の種類というか系列を持っていて、その系列を、保菌ネズミから逆に特定できるかということを考えているのも、生物兵器の利用と関係があるように見える。もちろん、そうではない、これは保菌状態のネズミをできるだけ早く発見する防疫の実験であると反論することもできる。
ペストのエンベロープというのは、昭和13年に刊行された細菌学の教科書を読むきちんと説明されている。ペスト菌を普通寒天で37度で培養すると、菌体の周囲にゲラチン様の膜ができる。これを envelope substance という。これを、菌体浮遊液を60度で加熱して菌体から離し、上層に集めて、これを遠心機を利用して菌体から分離することができる。ここには、somatic antigen は含有されていない。これは、ペスト菌の特異性を決定し、これで動物を免疫すればペスト感染に対する防御免疫力を与える。 倉内喜久雄という731部隊の医師が、これを用いてペストの新しいワクチンを作成した。
中村, 豐. 細菌學血清學檢査法. 増訂2版 ed.: 克誠堂, 1938. 1021-1022. に書いてある。