戦前の伝染病院での保菌者研究

柴山、知輝. "腸「チフス」ノ保菌者ノ血清反応ニ就テ." 日本伝染病学会雑誌 14, no. 2 (1939): 85-112.

翌年の1940年に「腸チフス保菌者の血清反応について」に対して東大医学部から博士号が授与されている。日本伝染病学会雑誌の論文は、かなり詳細で本格的なものなので、かなりの部分が博士論文に取り込まれているのかもしれない。警視庁と東大の関係は、当時の警視庁の井口乗海が推進していた動きである。戦後は、1948年に伝染病の知識と手当についての一般向けの書物、食品衛生についての書物を高木六郎と共著、1949年には予防接種についての書物で、予防接種法を解説するという章を担当し、警視庁の医師としての力を見せているのだろう。1950年代に、それまでと違う優生保護法に関連する受胎調節の論文を助産婦雑誌に出し、1955年には「家族計画の実験」を発表している。

腸チフスの保菌者の論文自体は、抗原抗体反応の概念に基づいて、具体的な血清の凝集反応 agglutination reaction of blood serum を測定して、どのように保菌者を発見すればよいかを論じたものである。 使ったのは、Widal 反応 (Widal reaction) O 抗原とH 抗原である。 それから最高凝集値も出し、それを健常者と較べた。 

この部分、まだテクニカルな部分をつかんでいない。いい本を探して読もう。

中川、政信、上島、武, "「パラチフス」K菌健康保菌者の一例." 日本伝染病学会雑誌 13, no. 6 (1939): 733-51.

中川は名古屋市立城東病院の医学士。名古屋市立病院はもと隔離病舎、伝染病院。 「遠藤赤変性変異パラチフスA菌について」で名古屋帝大から博士号(昭和15年)

パラチフスK菌を持った中流階級の女性についての記述。