エコノミストからとても良い記事。読んでおくと良い。開かれたと閉じられたという現在の論争で使われる二つの価値観の論争を分析して、その二元論がいかに粗雑で、重要な本当の対立をむしろ隠しているかを書いている。特に面白いのが、学者たちがこの開かれた・閉じられた論争とどのようにかかわっているかという分析。学者にとって自分たちと自分たちの意見が開かれていることは当然である。トランプ大統領選でもイギリスのEU離脱についてでも、開かれている学者たちとしては、投票先は当然だった。しかし、学問ほどさまざまな側面で閉じられた世界を前提している世界もない。さまざまな領域で閉じた社会を推進している。
日本の学者たちが開かれた社会が重要だという一方、実は閉じられた社会が大好きなのも非常に感じる。筆者もそうである。学会などで無限に繰り返される「開かれた医学史」で開かれの重視を強調する一方、競争に勝つことを強調することや、査読付き一流誌への論文掲載の重視も、閉じられた社会の重視である。どちらも間違っていない。でも、それを「開かれた学問」と、きちんと組み合わせることが大切だと思う。