北区中央図書館に行って、戦前の地図を見せてもらった。色々な資料も拝見した。その中に内田康夫「北区炎上」という話があった。東京の西ヶ原に住んでいた人物が194年の4月の大空襲について書いており、そこに王子脳病院・小峰病院が現れる。
父親は医者であった。1945年の4月13日に、空襲警報の発令と同時に小峰病院の救護所に駆け付けると、地獄絵のような修羅場が始まっていた。頭の半分を飛ばされたような少年を抱えた父親が「なんとか助けてくれ」と叫んでいた。足元は一面が血の海だったという。
深夜になって、B29も去って、無音状態になってから、大火災がやってくる。以下のような記述である。
「かすかにカランカランという乾いた音が聞こえてきた。音はやがて大きく、無限のひろがりに変わっていった。(中略)暗闇の夜空に、地球を丸ごと覆うほどにちりばめられた真紅の星が、東から西へ流れていた。尾久から王子にかけての下町一帯が燃えているのだろう。火の粉が家裁によって生じた上昇気流に乗って舞い、飛鳥山や農事試験場(現滝野川公園)を超えて、高台にある西ヶ原の上空に達し、浮力を失って落ちてくる。カランカランという音は、火の粉が家々の瓦屋根を叩く音だった」