神農本草経解説と「君臣佐使」という儒教概念

森由雄. 神農本草経解説. 源草社, 2011.

しばらく前に提出した論文のために中国医学の歴史を少し勉強した。55歳の医学史家としては恥ずかしい事態である。基本は中国語ができないという非常に大きなファクターである。どうしたらいいのか考えている。今のところは、日本語のマテリアルを読むと少しずつ分かるだろうと思っている。

今回学んだ一つの大きな概念が「君臣佐使」である。日本語では「くんしんさし」、中国語では jūn chén zuǒ shǐ と読む。英語では medicinal roles と訳している。中国の薬は、おそらく現在においても、複数の薬剤を混ぜて一つの薬が作り出される。例えば、麻黄湯は、麻黄、桂皮、杏仁、甘草の四種の薬剤を用いて、君が麻黄、臣が桂皮、佐と使がそれぞれ杏仁と甘草が構成する。この時に、ただ交ぜるのではなく、薬の間に関係を成立させて、その関係を「君臣佐使」という概念で理解するということである。

この概念が、いつ成立したのか、誰が何のために使ったのかというポイントは、非常に面白いが、もちろん私にはまったく分かっていない。一度中国医学の歴史を研究している方に聴いてみようと思っている。私が知っていることでは、漢代の時期に『神農本草経』という薬についての解説書があり、6世紀にその解説書が成立し、いずれも分散してしまったが、さまざまな引用などから再構成することができた。日本では19世紀中葉の1854年に森立之(もりりっし)による解説がついた復元書で成立し、そこで「君臣佐使」の概念が初めて使われたという議論に同意している。森による解説では、冒頭で「君臣佐使」を丁寧に説明し、その冒頭巻と、上巻、中巻、下巻の三巻を合わせて、四巻書となっている。

これは非常に強い身分制の発想であると私は思う。おそらく儒教とともに成立し、道教や、場合によっては神道とも共存できるのかもしれない。漢代に成立した書物の重要な支えが、幕府の危機である19世紀中葉に初めて成立し、現在の中国医学でも盛んに用いられているとしたら、とても面白い。

 

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
神農本草経(しんのうほんぞうきょう)

中国最古の本草書。著者および著作年代については不明であるが、前漢末期(西暦紀元前後)と推定されている。原本は伝存せず、500年ごろに陶弘景(とうこうけい)が校定し、自注を加えて出版した『神農本草経集注』や『証類本草』中の引用文などから、その内容をうかがい知ることができる。

1年の日数にあわせて365種の薬物を上品(じょうほん)、中品、下品の三品に分けた。上品の120種はいわゆる不老長生の薬物で、丹砂(たんしゃ)、人参(にんじん)、甘草(かんぞう)、枸杞(くこ)、麝香(じゃこう)などが含まれる。中品の120種はいわゆる保健薬で、石膏(せっこう)、葛根(かっこん)、麻黄(まおう)、牡丹(ぼたん)、鹿茸(ろくじょう)などが、下品の125種はいわゆる治療薬で、大黄(だいおう)、附子(ふし)、巴豆(はず)、桔梗(ききょう)、水蛭(すいてつ)など生理作用の激しいものが多く含まれている。

また序文には薬の性質や用法などが的確に述べられ、民族医学としての漢方は、漢代にはすでに完成されていたことがうかがえる。個々の薬物についての記載は簡素で、気味、おもな効能、別名、生育地などが述べられており、薬物の形状や具体的な産地については触れられていない。

後世、多くの人々が本書の再現にあたり、種種の校定本が出版されているが、いずれも細部に食い違いがある。現在もっとも信頼度の高いものは、1854年安政1)に日本人森立之(たつゆき)が復原した校定本である。[難波恒雄・御影雅幸]