ピルについて―その2 古典的な説明のラジオ版

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昨日はたまたま一般誌の記事から拾ってピルについて書いた。その話を少し入れようかと思っていた避妊の歴史を話す授業は、早慶戦の月曜延長で休講になったので来週になり、何かいい話はないかと思って少し探したら、BBCの「近現代経済を作った50の事象」のラジオ番組のシリーズの「ピル」を取り上げた番組が、私たちがする古典的なピル賛成派の記事をとてもうまくまとめていた。
 
この「50の事象」は全体としては経済史の番組である。私は経済学部に所属していて、経済史の雑誌に論文を書いたりしているので、時々経済史を教えていると誤解されるが、それは正しくない。私は専門は医学史で、一般教養の歴史を教えている。だから経済史はもちろんわからないのだけれども、経済史のキレがいいパチンとした洞察は好きで、この番組も時々聴いて感心していたことがある。学術的な書籍や論文も引用されていて、いつでも専門的な論文を参照できて便利だから、もっと使われていい。
 
ピルの説明は、経済史からみてピルを賛美するものであり、基本的には、昨日書いた、私を含めた医学史家がしている説明を、経済史の立場で発展させたものである。ポイントは、ピルを服用していると、コンドームよりもはるかに単純で個人的であり、また失敗して妊娠するケースが非常に少ないことである。女性解放の流れにも乗って、女性が10代後半から20代にかけて何を学ぶかが変わってくる。法学、医学、歯科学、MBAといった「とっても男性的な学問」を長期にわたって学ぶようになり、その系列の専門職にばんばんつくようになる。それによって、女性が長期にわたって高等教育を受け、それが社会の専門技能に反映されるという近現代の経済のプラスに働くという説明である。
 
この番組がそれと対比しているのが、日本である。「世界で最も科学技術が進んだ国で、欧米の女性のように日本の女性がピルを購入できるようになったのが、アメリカの39年後であった。男性用のバイアグラが認可されたのはわずか数か月後だったのに」という洞察は、自国のことではあるが、経済史ならではのキレを持っていて素晴らしい。
 
これはこれで非常にいい話なのだけれども、私が探しているのは、この後にやってきた、欧米の女性によるピルへの反動と批判の運動である。でも、この記事は保存して、この記事が引用している文献も読んでおこう。

ピルという新しい問題ー欧米における避妊の転機

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日曜の朝にVogue UK 版をのんびり読んでいて、少し気になった記事があったから読んでみた。予想したよりも大きな内容で、学者として、それから教育者として、まじめに考えなければならない主題である。内容は女性が避妊のために服用するホルモン剤、いわゆる「ピル」である。20世紀後半の避妊を教えるときに、日本の避妊と出生のコントロールは、優生保護法の堕胎手術とコンドームを使うという男性の協力に依存してきたのに対し、ヨーロッパの避妊は1970年前後に入手できるようになったピルに依存してきたという教え方を私はしている。欧米のピルが、当時の女性解放と女性の自立の思想とも共鳴したものであり、女性の自己決定であることも強調してきた。日本の方法が特別悪い解決だとは教えていないけれども、国家の政策と家族主義の産物であることには必ず言及している。欧米の女性の自立的な避妊と日本の国家と家族の産物としての避妊。この対比の支えになっているのが欧米でのピルの利用であった。

しかし、このピルが欧米で多くの女性が疑問に付し、これを再検討しているという。そもそも、10代から継続的に服用し、排卵がなくなるほど身体に介入する薬が、副作用がないわけがない。その部分は頭ではわかっていた。近年の研究が明らかにしているのは、大規模の研究が明らかにしている精神疾患への本格的な影響である。デンマークが100万人の女性を10年以上も追跡した調査によると、うつ病にはっきりとした影響を与えるという。10代の女性でいうと、ピルを服用している女性と服用していない女性のうつ病を較べると、前者は後者の約2倍である。そのために、女性たちがピルから離れて、別の方法を探している最中であるとのこと。コンドームの利用もわりと有力な候補の一つだという。1990年代のHIV/AIDS の流行のときに、コンドームが立派な道具として欧米でも市民権を得たことも関係あるのだろうか。

実は、欧米のピルと日本の堕胎とコンドームの対比は、結構気に入っていた説明だったのだけれども、現在のピルを安定して使っている状況が変われば、新しい研究書も出るだろうし、それを読んでこちらの説明も変えなければならない。

サイトは、その記事で引用されていたサイト。本も出していて、重要な本だとは言われているけれども、誤字や文法の間違いも多いとのこと。いい本が出るまで待とう。もし知っていたら教えてください。

大英博物館の新しい展示―神々と生きること

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大英博物館の展示と、それとタイアップしたBBCのラジオ番組が始まった。タイトルは Living with the Gods である。現代という時代にとって、色々な意味で宗教は重要な主題であり、宗教を信じることを見直すことが、これほど大きな世界的な課題になっている時代も珍しいだろう。そのような要求に答えて、大英博物館が大きな展示をはじめた。前館長で、大英博物館で傑出した企画を次々と考案し、それをラジオと結びつけるという素晴らしいアイデアを考えたニール・マクレガーの企画である。博物館のコレクションを用いた「100のオブジェクトを使ってみる文明の歴史」などは、書物が翻訳されたので、日本でも知られていると思う。

15分ほどのラジオ番組もいくつかアップロードされている。そのまま聞くこともできるし、ダウンロードして聞くこともできる。日曜の午前中、久しぶりに仕事をしなくても許される時間になったから、番組を三つ聞いた。最初の番組である4万年前の「ライオン・マン」の話、次の火とその周りに集うことの分析、次のガンジス河の水の儀礼に見られる生命と流れの分析。どれも、深くてインパクトがある話題を短くて分かりやすい番組にまとめていた。英語も素晴らしくて、講義をするのにいい練習になる。

第4回は番組の主題は太陽。番組はまだ聞いていないが、後半にはアマテラスオオミカミの話が出てくるとのこと。

芭蕉と伊良湖岬のタカと鳥の巣の話

日本野鳥の会の月刊誌『野鳥』の2017年11月号が面白い。冒頭に松尾芭蕉が貞享4年(1687)年に伊良湖岬に鷹を見に行った時の俳句が掲げられている。
 
鷹一羽 見つけてうれし 伊良湖
 
伊良湖岬は私は行ったことがないが、タカの渡りの名所である。秋の10月くらいになると、日本中の渡りをするタカが、日本の寒い冬を避けて東南アジアなどに移動するために南に向かう。北部のタカは愛知県の伊良湖岬に集まり、そこで上昇気流に乗るためにらせん状に上昇し、盛大な「鷹柱」(たかばしら)ができるという。私は南富士市部のタカの渡りの観察に何度か参加して、サシバの渡りやかなり立派な鷹柱を何度も観た。また、南の国に渡りをするせいで、ものすごく高い空を飛ぶ。双眼鏡で見ても、胡麻つぶくらいにしか見えない高さをまっすぐに飛んでいく。とてもいいものである。
 
解説によると、芭蕉の句にあるように、伊良湖岬がタカの名所であることは江戸時代にも知られていたとのこと。江戸時代にこれが知られていて、実際に行われていたとは考えたことがなかった。ただ、芭蕉がこの地に行ったのは当時の12月で、これは現在の1月くらいであるとのこと。サシバなどの渡りは完全に終わっている。7月に吉野に行って桜の花を見るようなものである。芭蕉とその時代が、何が分かって何が分かっていなかったのかを知ると、この行動とこの句がわかる。
 
もう一つが鳥の巣の話。私は野鳥の会の会員だが、鳥の巣はまったく分からない話題の一つである。大きな理由は、野鳥の会が会員誌で鳥の巣の写真、特に愛くるしいひな鳥がいる写真の掲載を禁じているからである。是非をめぐる議論が分かれるところだと思うが、私は特に反対していない。ただ、今号はめずらしい鳥の巣の特集で、巣の写真やイラストが満載である。鈴木まもるさんという鳥の巣の絵本を書くスペシャリストの作品もたくさん見た。また、「求愛巣」という言葉も学んだ。オス鳥がメス鳥に求愛する道具として作る立派な巣である。その記事ではセッカが求愛巣を作るとのこと。ある意味でクジャクのオスが美しい羽根を発達させて求愛の道具にしているようなものであるという。セッカについては、立派な巣を作って、メスのおめがねにかなって交尾すると、もう仕事は終わりで、子育てはメスの仕事、オスは次の求愛巣を作って次のメス鳥を探し始めるという。記事を書いた学者の研究によると、4か月で18個の巣を作って11羽のメスを獲得したのが最高記録であるという。
 
一方、これは私の個人的な経験だが、巣を作って、夏の間じゅう、ずっとメスを求めて鳴いていたが、とうとうメスが現れなかったセッカを観たことがある。数年前に家の近くにあるアシ原でセッカが巣を作り、毎日早朝から懸命に鳴いていたが、そこにセッカが来るのは珍しく、一か月以上にわたって鳴き続けたけれども、結局メスが現れなかったのではなかったかと思う。

「私宅監置と日本の精神医療史」展についてー「医学史と社会の対話」より

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橋本明先生の「精神医療の歴史と私宅監置展」。日本と世界の精神医療とケアと監禁の原型である私宅監置の写真を集めて、橋本先生が解説がしてくださる展示。韓国のソウルや日本各地で開催され、2017年の9月には大阪人権博物館で開催された。2018年の3月には東京の有楽町マリオンで開催され、現在作成中の私宅監置と呉秀三に関する映画も上映されるとのこと。楽しみに待っています!

 

 

 

 

オオタカと「蒼」という色

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日本野鳥の会の南富士支部の会報「さえずり」の記事より。

 

オオタカ」というタカを時々観ることができる。敏捷で人気があるタカの仲間であるが、名前に反して、これが大きい訳ではない。タカの中では小さい方であり、トビの半分くらいしかない。なぜだろうなと思っていたら、これはもともとは「アオタカ」と呼ばれていて、それが訛って「オオタカ」になったという。

「アオタカ」というなら、どこかが青いのか。オオタカカワセミルリビタキのようなきれいな青色があるのか。もちろんそんなことはない。「さえずり」の記事はもちろんそこもきちんとフォローしていて、「アオ」といっても、「青」ではなく「蒼」であり、「蒼」は灰色のことであるという。漢字で書くと「蒼鷹」であるという。灰色の鳥の意味のアオタカからオオタカへ、そこで「大きい」という意味との混線が生じている。議論の筋は、とりあえず了解です(笑)

漢和辞典で「蒼」を引くと、実は二種類の色の意味がある。「蒼天駆ける日輪」は、もちろん青い空の話であって、灰色の空の話ではない。しかし、三番目くらいの意味に「灰白色の」という意味があり、白髪の頭のことを蒼と表現している。ここにいたのか、オオタカの灰色は(笑)

ただ、写真を載せたけれども、腹の色が白いことから「アオタカ」になったのかと開き直って聞かれると、そこもちょっと分からない。 

 

沖の島の禁足の地

 

日本野鳥の会 : Toriino (トリーノ)

 

日本野鳥の会の季刊誌である Toriino に、藤原新也が連載をしている。いつも鳥とは無関係だが胸に響く文章を書いている。今回もそのパターンで、九州は玄界灘の沖の島の世界遺産についてのいい文章を書いている。世界遺産というと、日本と世界から観光客を呼び込むこと話ばかりになってしまい、虚しい気持ちになることが多いが、沖の島はその反対で、むしろ禁足を強めている部分すらあるという。これまでの禁足の地であった神社の中枢の部分に、写真家として初めて招待されて、そこを撮影することが許されたという。しかし、三日間の滞在で風雨が続き、やはり拒まれたのかと思っていたら、最後の日の朝に、たった15分間だけ、早朝の美しい光に包まれた森を撮ることができたという。Toriino にもその写真が掲載されているが、当たり前であると同時に、魔法と神業のように美しい写真である。

藤原さんは、ヴェネツィアの猫を撮影した写真を観て、非常に感銘を受けた。黒人男性のヌード写真も憶えている。どちらも私が大学生の時に観た作品だと思う。