精神疾患のブーム的な増減についてー20世紀後半のアメリカでADHD という診断と患者が増加した社会的な理由

Smith, Matthew『ハイパーアクティブ : ADHDの歴史はどう動いたか』石坂好樹、花島綾子、村上晶郎訳(星和書店、2017)
 
マシュー・スミス先生とは、スコットランドの学会でお会いしたことがある。スミス先生はグラズゴウで発達しているストラスクライド大学の講師であり、スコットランドの精神医療の歴史を研究していた。2012年にADHDの歴史に関する戦後の歴史の一般書を執筆した。日本では、京都の桂病院という精神病院のチームが勉強会の時に読み、それとともに共訳された。スミス先生から日本語訳をいただき、何人かの若い学者にも学術誌での書評をお願いした。もし精神医学史研究などで書評したい方は、橋本先生にお願いすればいいのだろうと思う。というか、もう話が進んでいるのかな(笑)
 
ADHD は Attention Deficit Hyperactivity Disorder という診断名である。昔は1,000人の子供に一例くらいの珍しい疾病であったが、1960年代から特にアメリカで急速な増加が進み、現在はアメリカでは子供の人口の10%がそういう診断をもらうという状況になっている。この20世紀の状況を説明するという難しい仕事をした優れた書物がスミス先生の業績である。
 
歴史的に言って、このパターンの精神疾患は常に存在する。中世の拒食、ルネサンスのメランコリー、宗教改革期の魔女、啓蒙主義神経症、19世紀のヒステリーなどと、多くの疾病が現れては減少したり消滅したりしていった。日本でも戦前の神経質や戦後のノイローゼなどは、このパターンだと思う。ただ、20世紀後半のアメリカでは、このような精神疾患のブーム性が他の地域に比べて顕著になっている。多重人格もそうであるし、性の不安定さもそうである。このような疾患は、増減の理由など一つ一つに関して慎重な分析をしなければならない。スミス先生のADHDに関する議論をぜひ読んでいただければ。
 
もう一つ良いことを言っておく。英語は pbk で4,000円。日本語はしっかりした本で3,000 円。めったにない現象だが、日本語翻訳の方が安いという現象が起きている。ぜひ日本語をご一読を! 
 
Smith, Matthew. Hyperactive : A History of ADHD. Reaktion Books, 2012.
 
Attention deficit hyperactivity disorder, or ADHD, is one of the most common developmental disorders, with an average of 9 per cent of children between the ages of five and seventeen diagnosed per year in the USA. It is also one of the most controversial. Since the 1950s, when hyperactivity in children was first diagnosed, psychiatrists, educators, parents and politicians have debated the causes, treatment and implications of the disorder. Hyperactive: The Controversial History of ADHD is the first history of the disorder. Matthew Smith highlights the limitations of regarding ADHD as simply neurological, and contends that hyperactive children are also a product of their social, cultural, political and educational environment. Instead of simply accepting conventional understandings of ADHD, this book addresses the questions central to the emergence of the disorder: Why were children first diagnosed with the disorder? Why did biological explanations become predominant? Why did powerful drugs become the preferred treatment? And why have alternative explanations failed to achieve legitimacy?By thinking through these issues Smith demonstrates how knowledge of the disorder's history can be used to empower those affected to make better choices about diagnosis and treatment. As a historian with past experience of working with troubled children and youth, Matthew Smith offers a history that is not only rigorous, but also accessible and highly relevant to those working with and caring for those diagnosed with ADHD. A revealing and clear-headed study of a controversial and emotive subject, this is an essential book for psychologists, teachers, policy makers and, above all, parents.
 
 

戦争と神経に関する<疾病的な予測>という重要な概念―ドイツのワイマール共和国とナチスについて

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h-madness からもう一つ。こちらは20世紀の戦争に関する学会の報告。素晴らしい内容と視点で、症例誌から重要な概念を取り出すことを可能にするから、ぜひ読んで欲しい。

神経の文化・社会的な位置づけの読み方を学ぶことができる。<神経は何か?>という問いはもちろん科学的な重要な側面を持っており、そこで明らかになる部分はもちろんある。第一次大戦の戦場という、過酷で、長期で、疲弊させ、苦悩を与える環境で暮らしていると、神経を病んで戦争神経症にかかるという事件は、科学的・医学的な要因が重要な役割をはたす問題である。

それと併存して、<神経と個人と社会はどのように関係するのか>という文化と社会の方向からの予測も含まれる。ここでは、ある団体なり社会なりが持っている神経が何をするかに関するあいまいな前提である。ワイマールとナチスという異なる文化的な期待、疾病的な予測を持つ団体があり、ナチスが政権をとり第二次大戦を通じた時期は、その予測がかなり変わっていた。同様に、日本においても、日本軍が太平洋戦争の前に戦争神経症を否定する身振りをとったことは、同じように予測を変えていた。怖いと神経症になるという発想は軍隊ではできないし、兵士もその予測でふるまっていない。

症例誌にはもちろん患者が何を怖がっているのかという語りがある。これが患者本人なのか家族なのかも重要な問題だけど、それはとりあえずおいて置く。人々が何を怖がっているのかを軍と関連させると、どの程度重要だったのかという疾病的な予測ができる。

古代医学の精神医療についての新刊書

historypsychiatry.com

古代医学における精神医療について優れた新刊書が出て、h-madness で広報されています。

古代においては、医学と宗教が共存するというモデルが分かってきました。精神医療についても、ヒポクラテスの「神聖病について」のような宗教に対して敵対的な医学というモデルではなかったと考えられていますが、具体的な史料の読み解きがなかなか手に入りやすい場所にはありませんでした。その中で、医学、宗教、精神疾患などを古代に関して詳細にみた論文集が現れました。ヒポクラテスやガレノスだけでなく、私が聴いたことがないような古代の医師のテキストも含めて、14の論文が古代のさまざまな複雑性を明らかにしています。 

素晴らしい書物ですが、価格が18,000 円を越えるという事態。しかたがないことかもしれません。図書館に研究用図書として購入をお願いするしか方法がないようですね。

石原あえか『日本のムラージュ』が刊行されました!

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http://amzn.to/2FsI6nh

 

これまでゲーテと科学の関係などに関して優れた著作を発表してきました東大の石原あえか先生から、素晴らしいご著書を頂きました。『日本のムラージュ』という医学の患者の模型標本の写真集です。ムラージュというのは、「特に[日本では]20世紀前半に皮膚科や泌尿器科を中心とした医学領域で、主に患部の病変・欠損・奇形などの症例を記録する資料および教材として重要な役割を果たした蝋製模型標本をさす」という説明があります。その中で、東大、慶應北海道大学金沢大学の医学部が、どのようなムラージュを持っているか、どのような東大を発端とするダイナミズムなのかという詳細な解説がついています。

これから、さまざまな新聞や書評誌や学術誌などで高い評価を受けると思います。写真なども、写真の専門家の大学教員が撮影されたもので、素晴らしいです。(私は金沢大学が特に好きになりました 笑) ぜひお買い求めください!

注文書にはこのように書かれています。「博物館や教室の奥で忘れられていたムラージュに光をあて、その歴史を丹念に調査した研究の集大成。職人たちの人生はもちろん、ユーモラスな寄生虫や愛らしいキノコも織り込んだ第一級史料。蝋という素材ならではの魅力と迫力をフルカラー写真で紹介する」 

 

デジタル・アーカイブズの Wiley 社が、ロンドン王立医師協会の500年にわたる古書を公開!

Wiley Digital Archives Announces Debut Partnership with Royal College of Physicians to provide access to 500 years of medical history | Wiley News Room – Press Releases, News, Events & Media

 

ロンドンの王立医師協会。ヘンリー8世の時代に作られた協会で、500年が経過している。私が文書館に通った頃は、近代的な建物がリージェント・パークに面した、気持ちがいい場所であった。そこの古書などが医学のデジタル・アーカイブズの Wiley 社によって公開される予定とのこと。この素晴らしい仕掛けは、かつては UCL のTilley Tansey 先生が指導されているとのこと。何かの折に、ご挨拶に向かおうと思っています。

 

原爆の「ケロイド」とハンセン病とインド人について(?)

Lifton, Robert Jay, 迪夫 桝井, 信之 湯浅, 道雄 越智, and 誠思 松田. ヒロシマを生き抜く : 精神史的考察. 岩波現代文庫.  Vol. 学術 ; 226-227: 岩波書店, 2009.
 
Lifton, Robert Jay. Death in Life : Survivors of Hiroshima. University of North Carolina Press, 1991.
 
リフトンはアメリカの精神医学者である。戦争における暴力やトラウマ、政治における暴力などに着目し、アメリカの朝鮮戦争ベトナム戦争のトラウマ、中国における洗脳の研究などの業績が人気がある。このような事例を歴史学の考えに発展させて「サイコヒストリー」を作り上げようという運動の担い手でもある。このような方法で説明がつく部分においては、大いに参照に値する理論だろうと想像している。
 
日本では、おもにヒロシマ被爆者の研究者として知られている。1960年代に被爆者に心理学的なインタビューを行なって優れた書物を英語で刊行した。その英語の著作から、文学や映画に関して論じた10章と11章を削除して、岩波から『ヒロシマを生き抜く』が翻訳された。実は、私はその業績を知らず、研究室のPDに驚かれたことがある。翻訳もとても読みやすくて、素晴らしい著作である。
 
その第5章2節のケロイドを論じた部分があり、よく分からない。英語を誤訳したとかそういう話ではなく、もともとの英語が何を指しているのかよくわからないという水準である。それは、被爆したときに「ケロイド」という腫瘍ができる現象である。このケロイドという腫瘍の後は激しく嫌われて差別された。自分が被爆者である場合であっても、ケロイドを嫌う程度は非常に強かった。そうなったのは、リフトンによると、ハンセン病患者がそうであったように、「触れてはならないもの」「見てはならないもの」に近い存在として広島の人々によって感じられているからだという。ここで、ケロイドを否定する人々がハンセン病との結びつきを論じたのだろう。さらに、「見てはならないもの」の部分にリフトンが註をつけ、この語は「インドの追放者集団を指すために実際にときどき用いられている」と書いている。突然インドの登場である(笑)
 
私は言及されている事態がわかっておらず、ちょっと混乱している。広島の人々がケロイドへの嫌悪感を表現するときに、ハンセン病に似ているといい、それと同時に、インドの追放者集団を指すことばも用いたのだろうか? それが「見てはならないもの」なのだろうか? それはインドに関する言葉なのだろうか? 「見てはならないもの」とは言わずに、例えば「不可触選民」のように言ったのだろうか? (私の父親が時々この言葉を使っていた記憶がある) あるいは、どこかで被爆者の言葉が何を指すのか、リフトンにうまく伝わらず、その誤解の中でインドにというよく分からない土地がでてきてしまったのだろうか?  

History of Science Society in Japan and a special issue on "New Directions in the History of Medicine in East Asia"

 
History of Science Society in Japan has published a special issue on "New Directions in the History of Medicine in East Asia" in its journal Historia Scientiarum, vol.27 (2018), no.2.  It is edited by Alexander Bay and has six papers on medicine and disease in Japan and China.  
 
Alexander Bay, "Introduction"
W. Evan Young, "Domesticating Medicine: The Production of Familial Knowledge in Nineteenth-Century Japan"
Alexander Bay, "Roundworm Prevention and Eradication in 20th-Century Japan"
William Johnston, "Cholera and Popuar Culture in Nineteenth Century Japan"
Keiko Daidoji, "The Formation of Constitution (Taishitsu) Medicine in Early Twentieth-Century Japan: The Scrofulous Constitution (Senbyoshitsu) and Tuberculosis"
Waka Hirokawa, "When Medicine Participates in Field Studies: Epidemiological Research of Hansen's Disease during Pre- and Wartime Japan"
Hilary Smith, "Beyond Indulgence: Diet-Induced Illness in Chinese Medicine"