原爆の「ケロイド」とハンセン病とインド人について(?)

Lifton, Robert Jay, 迪夫 桝井, 信之 湯浅, 道雄 越智, and 誠思 松田. ヒロシマを生き抜く : 精神史的考察. 岩波現代文庫.  Vol. 学術 ; 226-227: 岩波書店, 2009.
 
Lifton, Robert Jay. Death in Life : Survivors of Hiroshima. University of North Carolina Press, 1991.
 
リフトンはアメリカの精神医学者である。戦争における暴力やトラウマ、政治における暴力などに着目し、アメリカの朝鮮戦争ベトナム戦争のトラウマ、中国における洗脳の研究などの業績が人気がある。このような事例を歴史学の考えに発展させて「サイコヒストリー」を作り上げようという運動の担い手でもある。このような方法で説明がつく部分においては、大いに参照に値する理論だろうと想像している。
 
日本では、おもにヒロシマ被爆者の研究者として知られている。1960年代に被爆者に心理学的なインタビューを行なって優れた書物を英語で刊行した。その英語の著作から、文学や映画に関して論じた10章と11章を削除して、岩波から『ヒロシマを生き抜く』が翻訳された。実は、私はその業績を知らず、研究室のPDに驚かれたことがある。翻訳もとても読みやすくて、素晴らしい著作である。
 
その第5章2節のケロイドを論じた部分があり、よく分からない。英語を誤訳したとかそういう話ではなく、もともとの英語が何を指しているのかよくわからないという水準である。それは、被爆したときに「ケロイド」という腫瘍ができる現象である。このケロイドという腫瘍の後は激しく嫌われて差別された。自分が被爆者である場合であっても、ケロイドを嫌う程度は非常に強かった。そうなったのは、リフトンによると、ハンセン病患者がそうであったように、「触れてはならないもの」「見てはならないもの」に近い存在として広島の人々によって感じられているからだという。ここで、ケロイドを否定する人々がハンセン病との結びつきを論じたのだろう。さらに、「見てはならないもの」の部分にリフトンが註をつけ、この語は「インドの追放者集団を指すために実際にときどき用いられている」と書いている。突然インドの登場である(笑)
 
私は言及されている事態がわかっておらず、ちょっと混乱している。広島の人々がケロイドへの嫌悪感を表現するときに、ハンセン病に似ているといい、それと同時に、インドの追放者集団を指すことばも用いたのだろうか? それが「見てはならないもの」なのだろうか? それはインドに関する言葉なのだろうか? 「見てはならないもの」とは言わずに、例えば「不可触選民」のように言ったのだろうか? (私の父親が時々この言葉を使っていた記憶がある) あるいは、どこかで被爆者の言葉が何を指すのか、リフトンにうまく伝わらず、その誤解の中でインドにというよく分からない土地がでてきてしまったのだろうか?