九州大学のロボトミー

石山福二郎・下田光造「精神分裂病其他に於ける前頭脳切除手術の結果に就いて」『九大医報』17:4(1943), 80-82.
九州帝大は新潟とならんで戦前にロボトミーを行ったことで知られている。ロボトミーは1936年と言うから昭和11年にモーニッツが始めた方法で、この論文によれば、九大のチームは、昭和16年11月にこの手術を始め、昭和18年の3月の心理学集団会までに分裂病14例(うち3名は手術後死亡)、亢奮型精神薄弱3例、麻痺性痴呆2例、変質症1例の合計20例の前頭脳手術を行っている。例数は少ないが、途中報告的に行った報告である。ちなみに、石山福二郎は、悪名高い「九大生体解剖事件」で手術をリードした人物で、最終的には自殺をしている。その人物がロボトミーの主人公でもあったことは、ロボトミーを生命や人権の蹂躙として描く場合には、この事例はとてもうまくストーリーに「はまる」ものだろう。

手術の目的は教科書通りのことが書かれており、憤怒、膀胱、不安、悪戯、徘徊、逃走、陰部暴露など、広い意味における意志亢奮の症候が手術後消失・軽減することである。一方、分裂病の特徴的症候である「無為症(意志減退症)」は手術によって軽減せぬのみならず、やや高度にすらなる。つまり、この手術は患者の反社会的傾向を消失・軽減せしめ、家庭看護を可能ならしめる。注意しなければならないのは、もちろん「家庭看護」という脈絡である。当時の日本の精神病者のうち、私宅監置も精神病院収容もされておらず、警察に届けて把握されている患者「非監置」は全体の7割から8割を占めていた。家庭看護の負荷を減らすためにロボトミーを実施することは、ある意味で自然なことであった。アメリカのように、低予算で劣悪な州の精神病院における介護の負荷を減らすためにロボトミーが濫用された脈絡は、この時点においては存在しない。

日本で行われたロボトミーが、家庭からの要望だったのか、それとも医師の側からプッシュしたのかは想像の領域になるが、ロボトミーが日本に導入されたのが遅かったことが、家庭からの明確で強い要望がなかったと考える一つの素材になるかもしれない。インシュリンやカージアゾルなどの治療法については、欧米で発見された後で日本に導入されるのは非常に速かった。ECTについては九大がイタリアより早く発見したという見方まで存在する。しかし、ロボトミーは九大の数字でいうと丸5年かかっている。これは、当時の日本の精神医学としては遅すぎるという印象を持つ。しかも、戦前においての実施は著しく限定され、本格的な実施が拡大したのは戦後であり、高度成長とともに精神病院も急速に成長した時期である。