「若返り法」(榊保三郎)の何が間違っていると考えられたのか

榊保三郎の若返り法

『科学朝日』編『スキャンダルの科学史』(東京:朝日新聞社、1997)より。もともとは溝口元先生が1988年に『科学朝日』に書かれた記事。基本的で有益な論文。榊保三郎は九州帝国大学医学部の精神科の教授で、明治日本の医学と文化における名家の出身である。東大教授であった榊俶は兄で、姉妹が結婚した相手は東大教授が二人もいる。保三郎自身の妻は加藤弘之の娘である。

 

19世紀末から20世紀初頭の「ホルモン」の発見は、人類長年の夢の実現であるから、若返り法の大きなブームを生む一方で、医療を科学的なものにすることへの志向との緊張を作り出してきた。医療の科学性を重んじる医師たちは、若返り法なる治療法が真実にそのようなものかを確かめる必要があると説いていた。榊保三郎が1921年に甲状腺が精神病に有効かどうかを報告する新聞記事の中に、ほかの精神病に対しては有効性を認めなかったが、「老耄症」に対しては有効であったとして、耄碌の精神病の症状が改善したと同時に、副産的な現象があったことを報告した。白髪の黒化、皮膚の弾力性の向上、皺が少なくなる、理解力、自発力、意志行為が良好になるなどの現象を挙げて、当時ドイツや世界で話題を呼んでいたスタイナハ法を併用するという記事であった。新聞記事だから当然なのかもしれないが、本来の老人性の精神疾患への有効性ではなくて、明らかにその「副産物」の若返り法一般を広報した記事である。これに対して、東大を背景とする東京医学士会が抗議し論争となる。この論争は、九州大学が老人科を設置するというのは本当かというものであった。この部分が溝口先生の論文では詳しく書かれていないが、医学が科学的であるためには疾病を治療することでなければならない、それに対して老人であること自体は疾病ではないというような議論があったのだろうか。もともとスタイナハ法の若返り手術は、その中心的な理論的な部分は当時から批判されていた説であった。この論争は1921年、22年と、東京医学士会の側、榊の側の双方から議論が出ているようである。しかし、1925年に、九大の医学部前の旅館が遠隔地からくる患者に対して、特別に九大教授の診察をセットして、それに対して「特診料」を患者に要求する一方で教授にも特別な報酬を払っていたというスキャンダルが明らかになって、榊はその責任を取って九大教授を辞任した。