『短編で読むシチリア』より

夏に学会でシチリアに行くので、シチリアに関連する作品をぼつぼつと読んでいる。その中で武谷なおみ編訳『短編で読むシチリア』に収録された三つの短編。フェデリーコ・デ・ロベルト「ロザリオ」、ジョヴァンニ・ヴェルガルーパ」、ルイージピランデッロ「真実」。いずれも19世紀の末から20世紀の初頭に発表されたもの。世紀転換期のシチリアに生きる人々が置かれた仕掛けが、長い伝統と新しい近代の制度の間でひずむのが見えるかのような作品である。イタリアやシチリアの地方部には、教会と領主の支配という長い伝統があり、その権威に従う方法があり、またその権威の中で「うまくやる」方法を田舎の人々は知っていた。そこに新しい近代の理念が入ってきた。それはイタリアの統一であり、民主主義であり、法廷の正義であり、官僚制であり、性の規律である。これらの近代国家・近代社会の装いと、過去に栄えた文明の長い伝統を持つ社会が出会ったときに、二つの力の間にはさまった人間たちが、滑稽な不適応や、悲劇的な勘違いなどを起こす。私の想像力では、明治維新以降の近代化が進んでいた同時代の日本も少しダブる像なのだけれども、それは想像の中でだけ許される話である。

 

「ロザリオ」は、年老いた母と、彼女と同居する独身の中年女性となった三姉妹の物語。「聖なるロザリオの祈り」を唱える中で、4人の女性は家政の指示、村の噂話、そして駆け落ちして感動された妹の夫の死と妹の絶望について話す。祈りの中に会話が挟み込まれては、また祈りが始まる。この読経と会話が混じる感覚は辻潤が精神病院で経験したものである。「ルーパ」は、老いても抑制できない欲情をもつ女性「ルーパ」の話。彼女は村の若い男に惚れて、彼の身体を貪るために自分の娘と結婚させて同居する。義理の息子なのだが、なんのためらいもなく男の体を求め続けるルーパと、最後には規律を放棄する男。「真実」は、頭が少し足りない農民が、領主様と寝た自分の妻を斧で殴り殺したあとの裁判の席を舞台にした作品。彼の弁護士と村人たちは、激しい情念に基づく犯罪であれば無罪になる・減刑されるという当時の法的な概念を使おうと考えていて、それに対して、彼自身は何もわからないまま、少し足りない彼の頭から見た真実を語るという構成。

 

それ以外にも面白い短編がそろっていた。