朝鮮が日本に植民地支配されていた時期のマラリアについての原稿を読む。朝鮮に来たイギリス人は、インドや南アフリカと同じような「ヒル・ステーション」の原理を使って、低地を避けて近くの高い丘に住むことを進めたこと。マラリアの患者の年齢構成を調べると、朝鮮人と日本人移民の間で鮮明な違いがあり、子供のころからマラリアに罹っているために、成長する頃には抵抗力を持っている朝鮮人においては大人の患者は少なく、子供のころにマラリアに罹患する機会が少ない日本人には大人の患者が多いこと。こういったことも面白いが、一番のポイントは水田とマラリアの関係である。朝鮮の植民地支配がはじまってすぐに米騒動もあり、安価な米の生産が朝鮮に期待されるようになった。そのため1910年代の末から水田が飛躍的に広まる。そして、朝鮮の農村に水田が広まるにしたがって、マラリアの患者数はいったん上昇して、そして緩やかに減っていく。ここでは、このデータを受け入れて話を進める。
水田には確かに蚊がいるし、マラリアを媒介するアノフェレスもいる。アノフェレス・シネンシスというそうである。だから、水田にすると、マラリアを媒介する生物が生息する環境を作るわけで、そのためにマラリアが増えると考えることもできる。得意になって開発原病と呼んでもいい。しかし、これはナイーブである。問題は、水田になる前はどんな土地だったのか、そして、水田にしたときに、どのような水田になったのかということである。この問題を考えるときに、後に京城帝大の教授となった小林晴治郎が、朝鮮の水田と、彼の出身地である岡山県の水田での調査を踏まえて推定している議論が参考になる。
水田と比較するべきなのは、湿原・湿地である。水田は、湿原・湿地に較べると、アノフェレス蚊を発生させる力が弱い。水田というのは、当時の日本で行われていた形では、年の半分は水を抜いた状態であり、その他にも色々と水の出し入れなどをするから、一年を通じて水が溜まっていて蚊が発生できる環境ではない。だから、湿原・湿地を水田にする場合には、マラリアの原因である蚊の発生は、むしろ減ったであろう。一方で、乾燥地が水田になった場合には、アノフェレス蚊の発生地を作り、しかもそこで人々が働くようにするわけだから、マラリア患者は増える方向に向かうだろう。もう一つは、その水田がどの程度洗練されているかである。水の出し入れや管理が行き届いた水田と、水の管理がうまくいかず沼地化してしまうような水田とでは、やはり蚊の発生が違うだろう。言葉を換えると、水田化の初期にはマラリアのリスクが高いが、時間の経過とともにそれが下がってくることも考えられる。
ちなみに、小林の論文は以下のものである。きちんと探していないが、きっともっと優れた論文もあるだろう。慎さんが知っているだろうか。小林晴治郎「マラリアと水田の関係」『日本公衆保健協会雑誌』1(1925), 11-13.
ただ、このことは確実である。小林は、この論文において、朝鮮の水田はマラリアを増加させるとは言わずに、植民地政府の農業政策そのものが疫学的に危険なものではないという身振りを取っている。その意味で、植民地科学であることは間違いない。