20世紀ドイツの「精神病質」の歴史

 

Eghigian, G. (2015). "A Drifting Concept for an Unruly Menace: A History of Psychopathy in Germany." Isis 106(2): 283-309.

 

今年度は感染症の歴史の本を読んで講義ノートを作ったり、あるいは医学史の他の領域の本や論文を読んだりする機会が多かったが、久しぶりに専門の領域である精神医療の歴史の文献を読むことができるモードに入った。楽しく心躍らせながら読んだ論文が素晴らしかった。

 

「精神病質」という診断カテゴリーは、曖昧なものとして精神科医たちが警戒しているものである。精神科医が権限を拡張するために作り上げた概念であるとか、性犯罪をおかしたものに厳しい対応をするための道具であるといった議論がされてきた。日本では1960年代から70年代に、これが精神疾患として実在するのか、それとも問題ある個人に精神病のレッテルを張るための簡便な道具にすぎないのかをめぐって激しい論争があったと聞く(まだ調べていない)。日本でも最近香山リカさんが少年Aについて言及したりして、いかがわしさを増している(笑)この論文は、そのような解釈や論争の枠組みを超えて、この診断カテゴリーが、どのような制度と施設の問題の中で、ある機能を持つものとして生み出されてきたのかを分析したものである。方法論としては、フーコーの「問題志向型の歴史」から出発して、それを発展させた論者の方法を使っているとのこと。後者は知らない文献だから読んでみよう。

 

制度というのは、司法が管轄する監獄・刑務所と、精神病院と、児童福祉関連の特別教育養護施設などである。間接的にだが、家庭も関与している。これら複数の職業が管轄権を持つ複数の施設において、そこで問題を起こす個人を、個別の施設の問題を超えて一つの集団として捉えるために作り上げた概念であるという。もともとは、19世紀末に Julius Ludwig August Koch という精神科医が作り上げた概念であるが、これはロンブローゾが唱えていた法と精神医学の境界にあるような個人で、厳密に精神疾患ではないが、精神疾患者に類似した仕組みで特別な施設に拘禁されなければならない個人を念頭においた概念であった。ドイツにおける法と精神医学の間の交流の産物であり、刑務所と精神病院の間の人口移動の概念の上に立った診断概念であった。Liminal な個人であるといってもよい。それと同時に、クレペリンが心血を注いでいた記述精神医学の流儀で一つの疾患概念として記述されていた。クレペリンとその弟子筋たちは、当然のようにこの概念を歓迎して多用した。ここで重要なことは、刑務所なり精神病院なりの制度に適合しない個人の行動を、その個人の「心」の中に位置づけたことである。Psychopathy ではなく、psychopaths という集団が作られたのである。

 

これは、一連の精神科医、特に児童精神医学者たちによって発展させられたが、重要なことは、ここで児童福祉の領域ともリンクしたことである。児童福祉の領域では、問題がある児童を特別な施設で教育・規律することが行われていたが、その施設で問題を起こす児童がサイコパスと呼ばれることとなった。シュナイダーは1920年代に精神病質を詳細に論じた本を書き、1950年代までに9版を重ねるベストセラーになった(私も先日読んだ)。ナチス・ドイツでは特別な立法ができて閉じ込めが進展し、戦後の東西ドイツでも引き継がれた。