Pringle, Yolana, “Investigating ‘Mass Hysteria’ in Early Postcolonial Uganda: Benjamin H. Kagwa, East African Psychiatry, and the Gisu”, Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, vol.70, no.1, 2015: 105-136.
1960年代以降のアフリカの独立以降、アフリカ生まれで外国に留学した精神科の医者たちが、アフリカの精神疾患を取り上げた論考を発表することとなった。これらの新しい独立国アフリカの精神医学は、植民地時代にアフリカの精神疾患について編み上げられた「アフリカの精神」という差別的な発想とは異なる理解を模索したが、まだ植民地時代の発想の影響をうけていた。その事情を、ウガンダ出身で、アメリカで教育された医者 Alfred Kagwa の論考について分析したもの。
Kagwa の論考は、1963年に初めて発表された、タンガニカで流行した集団ヒステリーを調査分析したもの。この集団ヒステリーのような現象も、「アフリカの精神」論の重要な要素であった。もともと、アフリカには集団狂気のような現象があるという観察は、ヨーロッパ人が19世紀末からさかんに報告されていた。村の呪術師やウィッチなどの暗示により、ある地域で多くの人々が同時に精神疾患の症状を示す現象が起きるという内容である。これらは、kijesu や Nyabingi と呼ばれて報告され、ヨーロッパ人の植民医師たちは、この現象を好んで取り上げた。1930年代から始まった一連の研究では、これをアフリカ人の脳が未発達であるという身体的な議論や、精神的にアフリカは未発達で、個人をコントロールすること、抽象的な思考、個人の責任の概念を持つことができず、西欧化や原始的な状態からの離脱はかえって危険であり、常にヨーロッパ人の保護と監督が必要であるという、植民地体制を擁護する概念が発展させられた。戦後には、マウ・マウ団の運動も、この「アフリカの精神」の発露であると理解され、さすがにヨーロッパでもそれが科学としてずさんで人種差別的なものであることが批判された。
日本は少し事情が異なり、植民地時代を持たなかったが、明治期から昭和期にかけて、欧米の精神医学による日本や中国などの「精神」の解釈と、それに対する日本の精神病医たちの対応というモデルを発見することはできるだろう。
それよりも重要なことは、第二次大戦に敗戦してからの流れだろう。ことにアメリカの精神科医や関連する学者による日本人の精神についての議論と、それに対する日本人の対応は、戦後の「日本人論」と関係しながら、「甘えの構造」などの一連の重要な議論を生んできた。ただ、これは、「アフリカの精神」とは、少し違うのかなという気もする。