症例誌と情報学:その構造と利用の仕方

Hess, Volker. "A Paper Machine of Clinical Research in the Early Twentieth Century." Isis. vol. 109, no. 3, 2018, pp.  473-493, doi:10.1086/699619.
 
アメリカの科学史学会の機関誌である Isis に掲載された論文。新しい方向を切り開く非常に優れている論文で、精神医学史はもちろん医学史の歴史学者の多くにとって必読の論文である。ことに私にとっては、同じような方向を、日本の精神病院の症例誌を使って議論しようとしているから、これからの数か月で何度も読み、重要な引用文献も何度も読むだろう。
 
普通は実験室と統計的な方法という二つの考え方のもとで分析するが、この論文の基本は情報学である。1920年付近のベルリンの精神病院で、症状に関する情報が、個々の患者からどのように集められ、配列され並べられ、そこからどのように解釈して結果を出すかということを分析した論文である。医学史が、現在の情報学、そして情報学に支えられた臨床における情報処理と結びついた試みである。その効果を出すために、冒頭と末尾にアラン・チュアリングの議論をおいて、集めることに関する記憶の話、コントロールと計算、そしてインプットとアウトプットという枠組みで構成している。チュアリング自身の情報学とどのような関係があるのかは分かりません。引用されている本を読んでみます。
 
まず患者の症状を集めること。これは個人の症状を数十年にわたって、時間順に一か所に集めることになる。そこでは、その特定の医師自身が観察したものも含まれるが、それより以前のもの、それも自分が現在勤めている病院で観察されたものも含まれる。前者も後者も、基本的には個人のカルテに記入されていたことをピックアップすることから始める。医師が自ら観察したのか、他の医師が観察したのか、その区別をマイナスに取り扱って後景に退き、前景には一つの症状を時間的に並べるという形が出てくる。重要なことに、ドイツやフランスでは、ルーズリーフのような形式で患者に関するさまざまな情報がファイルの形になっている。イギリスでは、あれをどう説明すればわかるのか難しいが(笑)、患者を ABC 順に並べた巨大な症例帳に順々に書き込んでいく形になっており、後から確認するために、個人ごとに何ページに書いてあるのがわかるような仕組みになっている。ヘス先生は書いてないが、日本では、複数回入院した場合でも、それを一冊の独立した書物のような症例誌に綴じられることになる。
 
コントロールと算術は、そのように集めた症例を、一つのエクセル表のような図表にまとめなおして、あるパターンを見出していくことになる。ここは、試験管などを用いるわけではなく、ペンと紙を用いた情報処理で、それをPCと画面と言い換えると、私も皆さんもしていることである。この部分の情報処理は、鉄道や会社などの発展した作業や人事を持つ会社がどこでも行っている操作である。科学技術や医科学の特殊性を持つと同時に、社会一般でも採用されている情報処理である。
 
インプットとアウトプットも面白い。流派やこの時期にドイツやアメリカの精神科が、どのようなフレイムワークの中に、情報を集めて、どのようなストーリーが作られるのかということである。そこに精神疾患の捉え方があり、医師と患者が経験するインプットとアウトプットがある。日本にもいくつかの流派があり、その中でどのような見方が優先されるかが分かる。
 
ちなみに、19世紀末から20世紀にかけて、精神医学に実験室が入ってきたということに興味がある方は、印象的な図版を使っているサイトをご覧ください。
 

blog.wellcome.ac.uk

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19世紀末から20世紀初頭の病理検査と実験室