心理療法の歴史 - History of Human Sciences 特集号 

History of Human Sciences, vol.30(2017), no.2 が「心理療法の歴史」の特集を組んでいる。

 

特集号のエディターは、ロンドンのバークベック・コレッジのフェローのサラ・マークス先生。ご専門はチェコスロバキアを中心とする東欧の精神医療の歴史で、その他の精神医療や心理学の主題についてのリサーチも拝読したことがある。数年前に、遠藤不比人先生がご招待して成蹊大学でお話しされたことがある。以下のページに論文のアブストラクトが掲載されている。

 

いくつか目に着いた点を列挙すると、心理療法の技術や意義について、歴史学者の知識が少ないこと。これは私自身の漠然とした考えだが、この問題を、心理療法学自身の知識を持つことというある意味で伝統的な方法と、患者として心理療法を受けたことに基づく体験から出発するという新しい方法の二つを使って解決に向かう趨勢が現れつつある。ダニエル・ハック・テューク (Daniel Hack Tuke, 1827-1893) の心理療法における心理的な手法と身体的な手法の区別がないこと。戦間期ウィーンの精神病医のエルヴィン・ストランスキー(Erwin Stransky, 1877–1962) のSAR 療法 subordination - authority relationship は、当時の右側で権威主義的な関係を理解したうえで作られた心理療法であること。戦後にロンドン郊外の精神病院はアート・セラピーの拠点として発展したが、そこで面白い活躍をした精神病医がいて、ブルガリアのカージアゾル療法を学んでイギリスに亡命した医師で、非常に身体主義色が強い医師だったとのこと。いずれも、論文自体を読んで理解する必要がある。

https://historypsychiatry.com/2017/04/29/new-issue-history-of-the-human-sciences-9/

 

 

収容所の中の自由 - 世紀末オーストリアの精神病院の建築 

19世紀後半から20世紀初頭のオーストリア・ハンガリー帝国における精神病院の建築に関する新しい研究書です。

 

19世紀後半に西欧社会では、個人の自由という理想が確立した。それに思いを馳せた精神病医や官吏たちは、精神病院の外では不可能なほどの高い水準で、自由と規律の双方が守られている精神病院を作ることを目指した。すなわち「収容所の中の自由」である。この理想は新しい型の精神病院の建築を要求し、そのための新しいモデルの精神病院の建築を検討する。時期は1890年から第一次世界大戦まで、地域はハプスブルク帝国の最後の20年間のオーストリア・ハンガリー帝国である。そこでは、それまでの「廊下型」の病院建築から、都市性と自由を志向した当時の進歩的な建築スタイルである。これを通じて、社会的・空間的な隔離と管理を実施しつつ、人々に自由と規律を与える建築の空間が作られていた。

訳語の問題「廊下型」というのは、corridor を訳したものである。これが、建築史の中で適切な訳語かどうか分からない。この部分で言いたいことは、18・19世紀前半の精神病院と、19世紀の末から20世紀にかけての精神病院は、建築のスタイルが大きく変化したということであり、それは確かだと思う。

このような建築の変化は、19世紀から20世紀の精神病院において確実に起きていた。日本でいうと、東京府の精神病院である、1880年代に建設された巣鴨病院と、1919年に建設されて移転した松沢病院という病院の違いを思い浮かべるといいのだろう。

 

historypsychiatry.com

エコノミストより、高校生の野心と不安について

OECDの調査で、今年はOECD各国に限らず、世界の様々な国にも協力を要請したとのこと。高校生を対象にして、「クラスで一番になりたいか」「試験で十分な準備をしてきても不安か」という二つの質問をして、その割合をグラフ上で表現したもの。心理学的な原理や議論は何も知らないが、面白い発想だなと思う。このあたりの議論は、この本を読むと分かりますよという本をご存じの方は教えてください。

日本に関していうと、非常に野心が低く、わりと不安が多い国である。野心的ではなく、不安が多いというジャンルの世界チャンピョンである。野心でいうと、日本よりも野心が低いのはオランダだけである。オランダと日本の二つの国が野心が低いという理由は、全くわからない。日本人の高校生がクラスで一番になりたいと強く思っていないというのは、そう言われてみたら、まあわかる。 

不安でいうと、日本はわりと高いほうというだけで、病的に不安な国というわけではない。不安度の上位を見ると、ドミニカ共和国コスタリカ、ブラジルといった中南米の国が上位に来ていて、これらの国の高校生たちが、そんなに不安を持っているのか、私には見当がつかない。私が住んだことがある国でいうと、イギリスが日本よりもかなり不安度が高い。多少知っている国でいうと、イタリアも日本よりもはるかに不安度が高い。これらの事例は全く分からない。日本の高校生が理解する不安と、ブラジルやイギリスやイタリアの高校生が理解する不安は、たとえ同じ言葉で表現されているとしても、全く違う何かであるようにしか思えない。

もう一ついうと、日本は野心が低く、不安が高い。その逆に位置する、野心が高くて不安が低いという強気の権現は、イスラエルである。これも、言われてみたら、まあそうかもしれないなと思うことができる。 

基本、よく分からない調査である。これは、この調査がよくできていないことなのか、私が世界の各国について何も知らないということなのか、よく分からない。総じて後者だろうとは思うけれども、イタリアの高校生が日本の高校生よりも不安にさいなまれているというデータは、正直申し上げて、本物のデータなのかどうか、疑いを持っている。

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www.economist.com

『ラウトレッジ 狂気と精神医療の歴史』が新刊されました! 

https://www.routledge.com/The-Routledge-History-of-Madness-and-Mental-Health/Eghigian/p/book/9781138781603

 

ラウトレッジから『狂気と精神医療の歴史』が新刊されました。グレッグ・エギガン先生が編集した精神医療の歴史の大全であり、この段階で出すことができる最高の書物です。世界各地の多くの地域を主題として取り上げ、近現代の精神医療が持つ複雑な構成に対応する主題を論じることができる学者を動員して編集されたものです。地域としては、もちろん欧米が中心ですが、他の地域も積極的に取り上げられており、ラテンアメリカ、南アジア、アフリカ、日本が選ばれています。主題としては、精神病院、精神疾患の分類、宗教、文学と芸術、視覚芸術、精神医療の「マテリアル・カルチャー」、患者の視点、高齢社会、情動、身体療法、心理療法など。全体で400頁、21章からなっています。

この半世紀ほどの精神医療の歴史は、ミシェル・フーコーやロイ・ポーターといった物故した偉大な思想家や学者たち、ハーマン・ベリオスやアンドリュー・スカルなど、今でも活躍している優れた学者たちの仕事を出発点として目覚ましく発展しました。多様な主題にわたって、医学だけでなく人文社会科学の視点や方法を取り込んで、発展と洗練を続けている領域になりました。私は30年以上にわたって、学生・学者としての研究のほとんどを精神医療の歴史に注いできましたが、30年間で、私たちはここまで来ることができたのかという感慨を持っています。

編集のエギガン先生からの新刊のメールに答えて、執筆者たちから、お祝いと興奮の言葉が駆け巡りました。その中の一人が入れてくれたサイトを、私も添えます。We are the champions!  

https://www.youtube.com/watch?v=04854XqcfCY 

書物の性質上、ハードカバーで132ポンド、e-Book で110ポンドと、多少高価な書物です。研究費や図書館などを通じてお買い求めください。

 


目次は以下の通りです

 

Greg Eghigian ed., The Routledge History of Madness and Mental Health (London: Routledge, 2017)

Table of Contents

List of figures

List of contributors

Introduction to the history of madness and mental health

Greg Eghigian

Part I. Madness in the ancient and medieval worlds

1. Representations of madmen and madness in Jewish sources from the pre-exilic to the

Roman-Byzantine period

Madalina Vartejanu-Joubert

2. Ancient Greek and Roman traditions

Chiara Thumiger

3. Madness in the Middle Ages

Claire Trenery and Peregrine Horden

Part II. Professions, institutions, and tools

4. Healers and healing in the early modern health care market

Elizabeth Mellyn

5. The asylum, hospital, and clinic

Andrew Scull

6. The epistemology and classification of 'madness' since the eighteenth century

German E. Berrios and Ivana Marková

Part III. Beyond medicine

7. Psychiatry and religion

Rhodri Hayward

8. Madness in Western literature and the arts

Ilya Vinitsky

9. Psychiatry and its visual culture, c. 1800–1960

Andreas Killen

Part IV. Global dimensions, colonial and post-colonial settings

10. Madness and psychiatry in Latin America’s long nineteenth century

Manuella Meyer

11. Histories of madness in South Asia

Waltraud Ernst

12. Mad Africa

Sally Swartz

13. Voices of madness in Japan: narrative devices at the psychiatric bedside and in

modern literature

Akihito Suzuki

Part V. Perspectives and experiences

14. The straightjacket, the bed, and the pill: material culture and madness

Benoît Majerus

15. From the perspectives of mad people

Geoffrey Reaume

16. Dementia: confusion at the borderlands of aging and madness

Jesse Ballenger

Part VI. Maladies, disorders, and treatments

17. Passions and moods

Laura Hirshbein

18. Psychosis

Richard Noll

19. Somatic treatments

Jonathan Sadowsky

20. Psychotherapy in society: historical reflections

Sonu Shamdasani

21. The antidepressant era revisited: towards differentiation and patient-

empowerment in diagnosis and treatment

Toine Pieters

Index

エコノミストより、世界各国の宗教に対する抑圧と制限の比較

www.economist.com

 

エコノミストに、世界各国の宗教への抑圧をグラフにしたものが掲載されていた。政府による宗教の制限と、人々による宗教への社会的な敵意の二つの指標を取ったもの。グラフの右上が、政府も社会も宗教を激しく抑圧している国ということであり、左下が政府と社会のいずれも宗教に対して寛容である国ということになる。右上には、やはり圧倒的にイスラム圏である中東諸国とその周辺の国が多い。南米諸国のパフォーマンスが良いのは、無知な私は少し驚いたけれども、カトリックの実力なのだろうか。フィリピンのパフォーマンスがいいのも、その影響だろうか。アメリカのパフォーマンスも、ヨーロッパよりもいいくらいである。

 

日本は、宗教の自由に関しては非常にパフォーマンスが良くて、世界の優等生の一つである。もちろん時々問題はあって、話題や議論になるけれども、このペースを守りながら、これから出てくる新しい問題を粛々と解決していけばいい。

 

これができるかどうか分からないけれども、このような社会だからこそできる色々な解決法を世界の他の諸国に教えることを考えてもいい。先日、先端医療、生命倫理、医学史などの研究者が集まって医療と機械の関係を論じるワークショップがあって、そこで、宗教の話が一切出てこなかった。それをキリスト教世界の基準で図って無知とか意識が低いと考えることは簡単である。(私もちょっとそう思った 笑)でも、日本がかなり以前に解決した問題を、世界の生命と死と医療の問題はまだ解決できないという、逆の方向で考えることも可能である。 

20世紀精神医学史のブログ 「隠れた説得者」と、管理職世代のブログ修行の概念について


http://www.bbk.ac.uk/hiddenpersuaders/


19世紀から20世紀の精神医学の歴史の研究者である Daniel Pick 先生と、彼のチームが設立したブログ hiddern persuaders . 設立されたばかりで、まだ豊かなコンテンツはないが、非常に興味深い主題を取り扱っている。


「洗脳と<長い冷戦>」「植民地主義の影」「広告と映画」「psy の専門家たち」「現在への影響」という主題群が提示され、これからコンテンツが現れるのだろうと思う。「ブログ」のコーナーの背景音楽と意識の操作に関する記事を読むと、本格的な研究に基づいて、そこから人々に発信するものであることもわかる。


いま、私が研究代表をつとめるプロジェクト「医学史と社会の対話」が、一般の人々向けの医学史に関するポータルを組織していること、この4月に新規に得た4年間の科研費Aで、医学史とそれに関連する領域の研究者と発言者のためのポータルを作ろうとしているので、ブログの作り方に関して丁寧にみるようになった。20代の頃、私たちは学術論文の書き方を懸命に勉強していた。もちろん普通の意味で研究をすることだったけれども、調べる場所を知り、尋ねる人を知るという、自分の研究を組織することでもあった。それから四半世紀が経て、今度はブログの作り方を勉強することになっている。もちろん、若いころのような研究も続けるだろう。しかし、ブログを組織する仕方を勉強することになっていて、これも私の世代になった学者の大切な仕事だろう。


「医学史と社会の対話」のサイトはこちらです。
http://igakushitosyakai.com/