19世紀後半から20世紀初頭のオーストリア・ハンガリー帝国における精神病院の建築に関する新しい研究書です。
19世紀後半に西欧社会では、個人の自由という理想が確立した。それに思いを馳せた精神病医や官吏たちは、精神病院の外では不可能なほどの高い水準で、自由と規律の双方が守られている精神病院を作ることを目指した。すなわち「収容所の中の自由」である。この理想は新しい型の精神病院の建築を要求し、そのための新しいモデルの精神病院の建築を検討する。時期は1890年から第一次世界大戦まで、地域はハプスブルク帝国の最後の20年間のオーストリア・ハンガリー帝国である。そこでは、それまでの「廊下型」の病院建築から、都市性と自由を志向した当時の進歩的な建築スタイルである。これを通じて、社会的・空間的な隔離と管理を実施しつつ、人々に自由と規律を与える建築の空間が作られていた。
訳語の問題「廊下型」というのは、corridor を訳したものである。これが、建築史の中で適切な訳語かどうか分からない。この部分で言いたいことは、18・19世紀前半の精神病院と、19世紀の末から20世紀にかけての精神病院は、建築のスタイルが大きく変化したということであり、それは確かだと思う。
このような建築の変化は、19世紀から20世紀の精神病院において確実に起きていた。日本でいうと、東京府の精神病院である、1880年代に建設された巣鴨病院と、1919年に建設されて移転した松沢病院という病院の違いを思い浮かべるといいのだろう。