海洋汚染という問題

 

www.economist.com

 

エコノミストの特集記事が、海洋に対する盲目の問題を扱ったもので、とてもいい記事だったのでメモ。20世紀の後半からだろうと思うけど、環境問題への感受性は高まっている。しかし、この多くが陸上の可視的な環境に対する感度である。水面下で見えない部分に属する海洋の汚染について、私たちはいまだに感度が低い。海洋への廃棄物の投棄の規制はまだまだ色々な意味で甘い(らしい)。今世紀の中葉には、重量で図ると魚よりもプラスティックの方が多くなると予想されている。また、海洋の汚染や保全を管理することが難しい。太平洋に面している国が、いったいいくつあるのやら。

 

海洋の汚染だけでない。東京ガスの土地の地中の汚染や国有地の地下の汚染。現在の日本の大きな政治的な醜聞が、いずれも見えない部分での汚染にかかわっている。その実態を調べ、将来的な対策を考えるという難しい仕事をしている優れた学者たちが、日本の大学であれば必ずいるだろうと思っている。

新刊『性の問題群』(2017)

 
 
 
h-madness から新刊のお知らせ。著者の Paul R. Abramson 先生は、UCLAの臨床心理学の教授で、過去40年にわたって、法廷やキャンパスでにおいてさまざまな性の問題にかかわってきた。その経験をまとめた書物で、第一章と第四章は、精神病院の廃院に伴う脱施設化と、障害がある成人の性関係の合意に関する議論で、20世紀の精神医療の歴史学の研究者に有益だろうとのこと。
 
もう一つ、これは私から付け加えると、Kindle Unlimited に入っていると、この書物を無料で読むことができる。これまで使い方がよく分からなかった Kindle Unlimited だったが、この本が無料で読めるのは素晴らしい。冒頭のエピソードも素晴らしい。1970年代の脱施設化の真っただ中に、アカデミック・ジョブを探している若き臨床心理学者が最初の仕事を手にしたときのエピソードである。色々なメッセージがありますが、吹けないハーモニカを持っている面接担当教授には気をつけるように(笑) 

ソ連のTV上の集団催眠について

www.atlasobscura.com

 

旧ソ連末期の集団催眠療法について。1989年の10月に、ソ連のTVで奇妙なプログラムが連続して放映された。アナトリ・カンピロフスキーなる心理療法士が、TVで行った、ソ連の市民に向けられたセアンスだった。カンピロフスキーがTVに現れて、心を無にして、野心や目的をすべて忘れ、目を閉じて心を自由にするように、手には水がはいった盃をもち、自分が送るバイブレーションを受け取るように静かに語り掛けるものであった。カンピロフスキーはもともと臨床心理学者で、著明になったのは、ソ連の重量挙げチームの診療的な指導で好成績を上げてからだった。

1988年から集団心理療法などを行っていたが、1989年のこの時期には、ソ連の体制の崩壊に対応するため、ソ連の市民を落ち着かせるプログラムであったと考えられる。この時期、東欧は激動し、ベルリンの壁が崩壊して、ソ連の影響が崩壊していた。ソ連共産主義が指導する合理的な世界が破滅しつつあった。それに対して、ソ連の市民を暴動や自棄的な行動をさせないための、集団的な心理療法であったと考えられる。旧ロシア、ソ連、現在のロシアと、オカルトと神秘主義の伝統が強い。ことに、旧ソ連は、唯物論の哲学を奉じながら、神秘主義の影響があちこちに見られるという。カンピロフスキーの集団催眠は、その20世紀末の一つの現れらしい。

博物館と医学史博物館の歴史 

ロンドンのウェルカム図書館のブログより。今回は博物館の歴史と、ウェルカム図書館の歴史について。

博物館は、もとは16世紀の王、貴族、教会有力者などの個人的なコレクションをもとにして、18世紀末のフランス革命以降、人々にあるべき教育を与える civic engines として構想された。19世紀の後半には、ある都市に文明化されるときに博物館と図書館が必要なのは、下水、警察、公立精神病院が必要なのと同じような意味であるという台詞で決めた。ロンドンでテート・ギャラリーがミルバンク刑務所の隣に作られたのはそのような意味がある。

ウェルカムのコレクションは、成功した製薬業者であるヘンリー・ウェルカムの個人的なコレクションであった。このコレクションは、基本的には進化論の発想を基盤にしており、ヨーロッパはもちろん世界各地のさまざまな医薬に関するコレクションを、未熟で野蛮なものから科学知識と洗練に基づいたものに配列されている。このようなコレクションの基本発想自体をどう扱うかは、これからの議論の一つの焦点になるだろう。

日本における医学史の研究も、知的・学問的な議論の発展である方法論や分析の視角などの研究の進展と並行して、より具体性と現実性を持つ仕組みである、医学史を研究しその成果を共有するための素材の収集と考察、インフラストラクチャーの形成、そのような研究メカニズムのメタレベルの分析などを走らせる時代に入っている。このブログと Facebook, Twitter での発信は私自身がおこなっているささやかな試みとなり、また日本学術振興会から資金を得て「医学史と社会の対話」というサイトを始めた。この方向での発展が結実するように、がんばります。

 

「医学史と社会の対話」は以下のサイトです。

http://igakushitosyakai.com/

 

 

next.wellcomecollection.org

インドとトルコのシャンプー療法について

 
今日のDNBは、ディーン・マホメッド (Deen Mahomed, 1759-1851)。インドからイギリスにわたり、ロンドンとブライトンで開業して成功した「シャンプー外科医」とレストラン経営者である。このあたり、私が知らない話題であるが、外国由来の医療を考えるときに面白い主題なのでメモ。

シャンプーというのは、語源はおそらくヒンディー語で「押す」という意味の campo ではないかと OED に記されている。18世紀の後半から英語として用いられるようになった。もともとは、医療と美容術における治療的全身マッサージのことを言った。19世紀半ばの医学書を見ると、シャンプーというのは東インドで行われている、肌と筋肉を手でマッサージする手法で、熱い地域で戸外での運動が難しい場合は、手でかなりの刺激を与えたという。疲れたり、手足がだるくなったりしたときに、活発な「シャンプー」を四肢にしてもらうととても気持ちいいという。 現在のように頭皮や頭髪を洗うことを意味するようになったのは19世紀の後半である。この意味でのシャンプーを提供した人物がこのマホメッドである。インド風の風呂やトルコ風の風呂でのサービスの一つとして提供されたらしい。彼はロンドンやブライトンでインド料理の店も展開し、タバコ水パイプや竹の家具などをそろえてインド風のオリエンタルな雰囲気を出そうとしたとのこと。タバコ水パイプや竹の家具が、どのようにインドやトルコならではの雰囲気を作ることができるのかよくわからない。 インドの薬や歯磨きも売りさばいたという。 
 

アメリカの精神病院の建築の歴史 展覧会 

アメリカの精神病院の歴史展が、ワシントンDC の国立建築博物館 (National Musuem of Buildings) で開催されているとのこと。ワシントンDC のセント・エリザベス収容院で、1850年代に建設された当初は250人の患者用であったが、1960年代には8,000人の患者を収容できる巨大なものとなった。このサイトでは、治療の様子、医療機器、水浴療法の写真、孤独な患者の写真、患者の編み物の「作品」など、さまざまな興味深いマテリアルが掲げられている。最後に、他の精神病院関連の記事があり、これらも面白そうである。この展示は2018年の1月15日までとのこと。 


https://hyperallergic.com/373920/architecture-of-an-asylum-building-museum/?utm_source=twitter&utm_medium=social&utm_campaign=sw

 

f:id:akihitosuzuki:20161012130520j:plain