科学革命期の新しい医学の発展ー『医学史とはどんな学問か』第六章

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「けいそうビブリオフィル」の連載です。17世紀の科学革命期に、新しい発展を見せた医学の発展を記述しました。主人公たちは、一方では血液循環のウィリアム・ハーヴィーであり、もう一方では、デカルトガリレオニュートンに倣った医者たちです。この二つの異なった流れが、どのようにつながったのか書くように努力しました。

この連載はしばらく中断しがちでしたが、今年度はペースを取り戻すことができると思います。次回は18世紀の医学理論について。それが終わりましたら、古代から1800年までの医療を社会と文化と身体に関連付ける主題別の章に入っていきます。よろしくお願いいたします。

「いつだって猫展」と脚気のお守り

「いつだって猫展」|静岡市美術館

 

静岡市の市立美術館で「いつだって猫展」の展示が始まった。名古屋、愛媛、京都でも開催された展示である。実佳が招待され、一緒に面白い展示を楽しんだ。江戸時代と明治初期のアートにおいて、ネコが面白可笑しく用いられた有様を分析し展示したものである。プロの学芸員が分析と説明をしたカタログも素晴らしい。
 
医学史に関係があることは二つ。一つは富山の売薬が対ネズミ薬品を売りそのための版画を作っていたことの確認。ネズミは養蚕産業に打撃を与えて、人々は殺鼠剤を買い、その脈絡でネコが宣伝版画に描かれていることなのだろうか。
 
もう一つは、これはやや大きな話で、「丸〆猫」や「招き猫」と呼ばれている、ネコの人形のお守りの起源の話である。この猫人形は1852年に始まったものであるが、その由来についてはいくつかの説がもともとあった。いずれも、浅草に住む者の飼い猫が夢枕に現れたこと、その人形を売る場所は浅草寺であることという共通点を持っている。浅草寺で丸〆猫の人形を売っているありさまは、歌川広重の「浄るり町繁茂の図」で、猫の人形が売られているありさまが描かれている。そしてカタログで取り上げられているのは『藤岡屋日記』に現れる説で、そこでは丸〆猫の起源は、脚気に対するお守りという由来であるという。カタログは、この藤岡屋日記の話をマンガ家の「くるねこ大和」さんに頼んで、マンガで表現している。これは海原亮さんの論文で展開されている、薬を売る江戸の部分が寺に関係する街の一角である話と関係があるのだろうか。
 
楽しい展示で絵葉書も何枚か買った。楽しい絵葉書がいっぱいですよ。ぜひ静岡までおいでのほどを。新幹線の駅から歩いて3分くらいしかかからない、街の真ん中の美術館ですよ。

スカンディナヴィア諸国の優生学と不妊手術

Broberg, Gunnar, and Nils Roll-Hansen. Eugenics and the Welfare State : Sterilization Policy in Denmark,  Sweden, Norway, and Finland. Uppsala Studies in History of Science. Rev. pbk. ed ed.  Vol. v. 21:  Michigan State University Press, 2005.

 

優生学というとナチス・ドイツをすぐ思い出す人が多いだろう。これは色々な意味で正しいが、間違っている点も多い。間違っている点の一つは、その方法である。優生学を実現する方法において、ナチス・ドイツは殺害の方式を取って、これは極めて例外的であった。精神疾患の患者を特別な精神病院に移動して、そこで殺害するという方法であり、そうやって殺された人間が約7万人である。殺害というのは、優生学の代表的な方法ではない。代表的な方法は、遺伝の可能性がある疾病を持っている人に不妊手術を行うことである。これは広範に行われた政策であり、メリットどデメリットの双方を持ち、各国でその両者が研究されている。その研究が日本の優生学不妊手術が強く参考にするべきであるが、マスメディアではナチスを参照する人たちが多すぎる。

きちんとした史料に基づき、政治的な問題意識もしっかりしているのが、スカンディナヴィア諸国の優生学不妊手術の歴史の研究である。ボロベルク先生が編集したものが英語になって2005年に刊行されている。ドイツの影響、科学の影響、女性の進出の影響など、優生学的な不妊手術と錯綜したさまざまな多様な要素が分析されている。どの国家も、1930年代から40年代に優生学不妊手術が頂点に達し、50年代から60年代に没落した。それからしばらくして、優生学不妊手術を少し過去の倫理的な問題として取り上げる意見の風潮があり、ドイツやアメリカの優生学の再検討があり、2000年近辺にまとまった研究が現れるようになった。日本でも、ニュースに現れるのは倫理的な批判が多いという印象を私は持っている。もちろん批判されるべき点を多く持っている。その一方で、中絶の成立、70年代には優生保護法不妊手術が減退したこと、女性の割合が高いこと(スカンディナビアもそうであって、スウェーデンは90%を超えているという)など、色々な様相をきちんとした学者が調べて適切に提示することが必要だと思う。この問題のためには、史料の発見が難しいのだろうけれども、あと数年でまとまった研究が出てくるだろうと私は楽観的である。どのくらいの不妊手術の数なのか、それを提示しておく。 Exclusive medical ind. というのが、周りを読んでどういう基準なのかがよくわからない。

Country

Period

Number of Sterlizations

Population

Denmark (excl. medical ind.)

1929-1960

ca. 11.000

4,281,000

Norway (excl. medical ind)

1934-1960

ca. 7,000

3,280,000

Sweden (excl. medical ind)

1935-1960

ca.17,500

7,042,000

Sweden (incl. medical ind)

1935-1960

ca. 38,900

-

Finland (excl. medical ind)

1935-1960

ca. 4,300

4,030,000

Finland (incl. medical ind)

1935-1960

ca.17,000

-

 

現代の中国の医療に関する統計について

Reinarz, Jonathan, and Rebecca Wynter. Complaints, Controversies and Grievances in Medicine : Historical and Social Science Perspectives. Routledge Studies in the Sociology of Health and Illness. Routledge, 2015.

 

Jonathan Reinarz 先生はバーミンガム大学の医学史の先生。バーミンガムの教育病院に関する優れた著作を書き、大きな研究拠点を作っているだけでなく、大学の国際行政の主役の一人として活躍しておられる。また、奥様の研究との関係で、日本の広島に数か月滞在して、そこでも研究の拠点を作られている。近現代の医療と社会政策関連を主題にして多くの書物を編集されているので、ご覧になるといい。

この書物は医療に対する苦情の歴史と現代の問題である。主たるターゲットはイギリスである。冒頭で、現代中国における医師への苦情の大きさを論じるのに、その数を引用する手法が取られている。2010年には中国で17, 000 件の医師が、患者から傷害を受けた、これは医療の高価な部分が増えてきているからというような統計と議論である。この数字はもちろん大きな数字で、中国の医療に関するある種のイメージを、それも複数にわたって導きやすい。

しかし、日本や他の国と対比して考えるときには、対比する数字を持たなければならない。まず中国の人口の大きさを考えなければならない。日本の人口で考えたとき、一年に1700件の患者による医師の傷害事件というのは、それほど不思議ではない。

ただ、それに関するデータが日本にあるのかどうかを知らない。歴史的にも、きちんとした数字は私の記憶には出てこない。昭和戦前期の精神医療でいうと、精神医療だけに区切っても、一年に1700件の患者による医療者の傷害の試みがあったことは全く驚かないし、それと同じくらいの件数の、医療者が患者を傷害する試みがあったとしても全く驚かない(笑)

話を戻すと、患者による医療者を傷害した事件などは、日本ではどのくらいあるでしょうか? 

流行と身体の歴史の新シリーズ(マクミラン)

https://mobile-base.springer-sbm.com:44300/SAP/CUAN/ZCUAN_PERSEMAIL?sap-outbound-id=0000002023:1:5490

 

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ロンドンのスザンナ・ビエノフ先生が軸になって、マクミランから流行と身体の歴史の研究書のシリーズが打ち立てられることになりました。シリーズの日本におけるエディターは、松蔭大学コミュニケーション文化学部の川添裕子先生です。博士論文などを英語での単著にするアイデアなど、どんどん進出してください。

 

 

松蔭大学コミュニケーション文化学部の川添裕子先生です。

新しい遺伝学と<人種>の概念

www.nytimes.com

 

New York Times にハーヴァードの遺伝学の教授が、人種概念をどのように遺伝学から理解するのかという古い問題に貢献している記事。人種というのは社会的な現象であるということを認めたうえで、しかし、さまざまな<人種>間の違いが、単なる社会的な現象ではなく遺伝子も考慮に入れた正解が存在するだろうという議論のようである。今年度は歴史学が疾病の歴史になるので、特定の疾病にかかりやすい<人種>と呼ばれる集団などについて話すことが何回かある。それに対応するため、新しい本を買っておこう。1,600円くらいで Kindle で読むことができる。

自然科学や医学の論争的な主題について私が原則にしていることを書いておく。比較的複雑な構造を明晰に理解し、そして的確に説明できるというのが原則である。遺伝の役割もそうだし、精神医療についてもそうだし、精神病院でもそうだが、理系と文系の単純な二元論で議論をすることはかなり古い。科学・技術・医学がある仕組みを単純に善だと言い立てたり、人文社会系がこれも単純にそれは悪だと言い立てるという構図は、数十年前に終わっている。そこにあるのは議論というより無意味な論争である。冷戦や批判的な科学論の頃の仕掛けである。現代社会が持つのは、そんなに単純な問題ではない。複数の要因がからんで、プラスとマイナスが作られる構図ができる。それを明晰に理解できて、これから良くなるように的確に説明できるようにすること。現代社会の理系も文系もこれが必要だというのが、私が自らに課し、お弟子さんたちに期待している原則である。とりあえず書いておいた。

 

 

陽成天皇と<変成男子>?

歌舞伎座の会員誌である「ほうおう」を読んでいて、『雷神不動北山桜』(なるかみふどうきたやまざくら)の見どころを読んでいたら、いきなり変成男子に出会ったのでメモ。手元にある『歌舞伎手帖』も見たが、この件については何も書いていなかった。

この話はもとは1742年に初演。そこで背景の重要人物の陽成天皇はもともとは女として生まれるはずだったが、女を変えて男になった<変成男子>であったという話である。その行法を行ったのは、鳴神上人である。安倍清行が、陽成天皇の異母兄である早雲が天皇になるとよくないから、本来女子として生まれる陽成を男にする行法であった。

陽成天皇平安時代前期の9世紀末に皇位にいた。Wikipedia を読んだけれども、私の知識がなさすぎて、そこに書いてあることと変成男子との関係がまったく分からない(笑)また、18世紀の半ばに、陽成天皇が本来は女だという設定が歌舞伎に出る社会というのもよく分からない。あと<本来は女である>の<本来>の概念もまったくわからない。どなたか、どんな本や論文を読めばいいのか教えていただければ。