19世紀に現れたハーヴィーの解剖板という虚偽とその社会性?

 

 

https://www.rcplondon.ac.uk/news/anatomical-tables

Gere, Cathy. "Williams Harvey's Weak Experiment: The Archaeology of an Anecdote." History Workshop Journal 2001, no. 51 (2001): 19-36.
Peto, James. The Heart. Yale University Press, 2007.

今回のけいそうの医学史の連載は17世紀の科学革命期の新しい医学について。だいたい書き上げた。この時期の医学の世界で最大の革新はウィリアム・ハーヴィーのいわゆる血液循環で、それが科学革命とどう関連するかという問題は難しい問題だったし、それに基づいて一つの章をどう構成したかというのも難しい問題であった。

その途中で少し調べたことが「ハーヴィーの<解剖板> Tabulae Harveianae 」と呼ばれているものである。これは、もともとは17世紀にイタリアのパドヴァの医学校で作成された解剖の標本である。人体の静脈系や動脈系などを処理して、それを大きな板のようなものに張り付けて所蔵できるようにしたものである。ロンドンでは王立医師協会や王立外科医協会などにあわせて10点くらい存在する。私たちはパドヴァの解剖学講義で解剖された人物の死体そのものを見ていることになる。静脈系と動脈系などが、同じ人物から二つの系を取ったというのは、17世紀半ばのパドヴァの解剖学の実力、それも手仕事の素晴らしい水準を物語っている。

この解剖版はイタリアに留学した医学生博物学の趣味者などが集めた。John Evelyn や、イギリス人で最終的にはピサの解剖学教授になった人物などが集めている。具体的な用途を聴かれると、私には分からないが、その数から察するに、意味があるものなのだろう。乾燥した標本にすると、いつでも見たり確かめたりすることができるような形態にしておくということだろうか。

一つ大きな間違いがおきたのは、19世紀の初頭に、その解剖版の持ち主の貴族が、この解剖版は自分の先祖でもあるハーヴィーが所有していたものである、それを王立医師協会に差し上げたいと言ったということである。これはもちろん結果的には虚偽であるが、その貴族がどこでどう間違いをしたのかはよく分からない。おそらくこういう経路だという推理がウェブサイトに書かれていて、私は普通に納得している。ちなみに、RCPの動画は素晴らしいから拝見するべきである。

ここでは論じられていないが、19世紀の初頭は解剖学の周囲の社会的なテンションが高くなることも事実である。2001年の History Workshop Journal は、1832年に現れたハーヴィーの解剖技術に関する皮肉に満ちた投稿を、1832年の文脈で考えたものがある。それよりも10年ほど前ではあるが、死体解剖の供給に関する緊張は考えなければならない。その貴族たちは、ハーヴィーの解剖のほぼ等身大の標本について、どんな脈絡を期待したのだろう。社会から称えられる栄光が欲しかったのか、それとも厄払いをしたかったのか。

  <静脈は買収できるが罪を問いあげなくてもよい>というような文章が可能だとすると(笑) "the venous is venal but venial" のような文章になる。  venal と venial は程度は違うがどちらも悪いことで、その違いが辞書で説明してあることが多い。そこに医学や医学史が静脈 (vein /venous )を入れて venal と venial の問題を論じようとすると、かなり混乱する。そういう困難を意識すると、つい「静脈系」を venal system と書いてしまう。そんな英語の文章をイェール大学出版局の書物に見つけた。

 

ドニゼッティの晩年の梅毒性精神疾患による入院-フランスとイタリア

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https://en.wikipedia.org/wiki/Gaetano_Donizetti

ガエターノ・ドニゼッティ (Gaetano Donizetti, 1797-1848) はイタリア生まれで国際的に活躍したオペラの作曲家。『ルチア』『愛の妙薬』などが著名な作品。『ルチア』はスコット原作の小説に基づき、愛の狂気の芸術表現を学生に映像で見せたいときには素晴らしい。『愛の妙薬』は、にせ薬品を売りつける偽医者が重要な主人公である。これは、医療関係者を怒らせるコメントかもしれないが、これを見ると、男と女の人生は偽の薬をどう信じるかにかかっているという思想がよくわかる。最後に勝つのは、偽医者自身が効かないと知り尽くしている偽薬が引き起こす社会が幸福になる現象である。このような作品で30代、40代になると成功し、人生全体では70点ほどのオペラ作品がある。

疾病や医学を取り上げたことと無関係だと思うが、50歳に近くなると、精神疾患となった。私がいまの段階で確認したのは英語の Wikipedia で、晩年の疾病の部分の記述は素晴らしい水準である。医学史が学問として成立していると社会と文化の知識がどうなるかが想像できるから、人生の最期の部分をぜひ読んでいただきたい。

ドニゼッティが病んだのは梅毒が中年になると現れる「進行麻痺」であった。この疾病ゆえに、パリの遠い郊外で、エスキロールと関係がある Maison Esquirol という病院風の館を持っている療養施設に収容された。その折、パリで富裕な患者の梅毒が専門であったロベール・リコールというエリート医師にも診断された。この施設はおそらく高級な施設だったのだろうか、パリからやや遠く、パリの街の中に在住しろという友人からの請求もあり、パリの街中に帰って来ることになった。ただ、ここでは拘留されるような形になっている。

この部分で一番の重要な点は、イタリアに帰ることができるかどうかということによる。本人の家族もかなりの医者たちもイタリアでの休息がいいだろうと確信していたが、当時のフランスの法律が足かせになった。旅行が疾病に苦しむ患者に害悪を与えないという証明書が必要になるのである。そのため、パリ郊外とパリ市内で精神医療のケアを受けていたドニゼッティを移動すること、あるいは国際移動することが法的に難しい状況になっていた。結局、イタリア帰国を支える医師たちに認められて、ベルガモに帰国して領主の好意で良好な館で死ぬことができた。

これはあまりにコアな問題だけど(笑)、国際療養に関するフランスの特異性について重要なヒントになっていないだろうか。あるいはイギリスの有利さなのかもしれない。ここで重要なのは、精神疾患なり他の病気なり、国際的な移動をして療養を受ける法的な規制の問題である。長距離を移動すること、場合によっては国際的な移動をすることが、医学的に意味があるかどうかということを国の法が認めているかどうかという問題である。ドニゼッティは、それを承認してくれる医者たちをそろえることがとても難しかったという点があった。医者としては自分の患者ではなくなるということも憶えておこう。

註を見ると、この問題に触れているのは偉大な音楽学者である。フランスのこの問題もあの本を読めばいいというのは分かっている。ちょっと見てみよう。

写真は梅毒医のフィリップ・リコールの風刺画。ウェルカム図書館が持っている。1867年のもので、子供なり天使なりが出ている意味はよく分からない。

コクトーのアヘン中毒と精神病院の患者の手記

 

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Cocteau, Jean, and 大学 堀口. 阿片 : 或る解毒治療の日記. 角川文庫. 12版 ed.  Vol. 396: 角川書店, 1998.
 
ジャン・コクトー (Jean Cocteau, 1889-1963) はフランスの文芸家。私が全く知らない20世紀のフランスの文芸の世界とドラッグの世界の話だけれども、わかっていることだけ書いて置く。
 
コクトー1920年代にレイモン・ラディゲ (Raymond Radiguet, 1903–1923)と深い知己になり、アヘンの利用を始め、その中毒性が深刻化してきた。友人たちの勧めもあり、サン・クルウ療養院という精神病院に、1928年の12月16日に入り、1929年の4月に退院した。その時に書いた手記を1930年に出版している。日本語への翻訳は、いまわかる範囲では、最初が1932年。堀口大学第一書房から刊行している。1936年にはおそらく同じ版が「上製」として刊行されている。1936年の再版は、その年にコクトーが来日したからだろう。堀口のあとがきによると、その時点でもアヘンの利用は完全に根絶したわけではないとのこと。日本での翻訳はその後も継続し、1946年、1953年、そしてコクトーの全集などに入れられ、文庫本への編入もおこなわれている。私が見たのは1953年版を1998年に文庫化したものである。
 
コクトーの著作はたくさんの重要な特徴を持っており、この時期近辺の日本の精神病者麻薬中毒者の語りの重要な特徴を持っている。最も基本的でとても重要な特徴は、精神病院に収容されている患者の手記を印刷したものであることである。だから、私が読んでいる日本の精神病院の症例にとてもよく似ている。精神病院は患者を沈黙させる空間だったというのはある意味で大きな間違いであり、精神病の患者は通常の人よりもはるかに多くの発言を記録され作品が保存されるメカニズムを作り出す。コクトーの仕事は、その多弁多作の空間を印刷の形で表現したものである。1930年のフランス語オリジナル、そして1932年の最初の日本語訳を見ていないので確言はできないが、私が見た文庫版だと、患者の手記の印刷したものになっている。コクトーが書いた自らの精神疾患や不安定さを織り込んだ散文があり、他の文人たちの麻薬や精神病に関する記述があり、映画や絵画や他の芸術に関する散文があり、その散文と微妙な形で共存するコクトー風の手描きのイラストが存在することである。自分と他の人間と世界について、リテラリーなものと、ヴィジュアルなものの二つの方法を用いて表現するものであり、それが印刷されたということを確認しておこう。できればいい翻訳を見て、きちんとした注釈がついた版を見る必要がある。
 
麻薬は犯罪と司法にかかわることであるという考えにも触れている。この部分でオスカー・ワイルドがアルフレッド・ダグラスに書いた手紙からの引用がいい。「皮相浅薄のみが罪悪だ。すべて理解の上でなされる事は善行だ。」この引用は、同性愛であれ麻薬中毒であれ、精神疾患の周辺に存するものに関する法と社会の問題を、ワイルドの視点から見たものと、コクトーの視点から見たものをうまく表現している。
 
全体として、フランスのかっこいい知識人が言いそうな断章に充ちている。そういう言葉が必要なときように手元に置いておくととてもよい。 Cocteau + opium で検索するとたくさんの画像が出てくる。
 

ダーウィンの自伝の調整・だめな学生と幸福な家庭

Darwin, Francis Sir, and 丹 小泉. チャールズ・ダーウイン : 自叙伝宗教観及び其追憶. 岩波文庫.  Vol.  33-913-1: 岩波書店, 1927.
 
Charles Darwin, The Autobiography of Charles Darwin 
 
岩波文庫で日本語訳したのは小泉丹(こいずみ・まこと 1882^1952). 動物学者で宮脇に寄生虫学を学び、慶應医学部の教授となった。1927年にフランシス・ダーウィンの著作を刊行する。それ以外にも、ダーウィンの大著『進化論』のかなりの部分を翻訳して刊行している。
 
まずダーウィンの自伝について科学史の教科書的なポイント。19世紀の末と20世紀の半ばで、科学とキリスト教と神に対する科学者の遺族たちの態度と社会の態度が大きく違うことが分かる。ダーウィン1878年に二か月ほどで家族のために書いた自伝がある。これは、1887年に息子の Francis Darwin によって刊行された。ダーウィンが1882年に没してから5年後である。そこで重要な改正があって、ダーウィンが自伝に書き残したキリスト教と神の存在に対する批判的な部分が削除されたというものである。しかし、1958年に、ダーウィンの孫のノラ・バーロウが自伝を再刊したときには、オリジナルの宗教批判の部分をそのまま掲載して、ダーウィン無神論的な自然構成思想が明らかになった。一度、きちんと資料がそろっているいい研究を読んでおきたい。
 
私は1958年のオリジナル自伝を読んだことはないが、息子が編集したものも十分に面白いと思っている。特に、医学を学ぶためにエディンバラ大学に行って、そこで2年ほど過ごすが、失敗につぐ失敗だったという自分で書いている部分を読んだことがあり、そこは面白い。その他にも、ダーウィンが子供の頃から学生にいたるまで、苦手科目だらけだったことがよくわかる。学科の習得が遅く、ノーティー・ボーイだったこと。古典語が苦手で自分には無意味であったこと。ラテン語とかギリシア語とか、懸命に詩を40行ほど覚えてなんとかするが、48時間でそれを忘れてしまうから何のためにもならないこと。ついでに言うと、シェイクスピアものも含めて詩はまったく心に残らなかったこと。エディンバラの医学関連の科目はすべて苦手だったこと。解剖学もだめだったこと。ケンブリッジでは数学の代数の初歩すらわからなかったこと。ついでにいうと、音痴で耳は貧弱で不協音もわからず、友人たちにからかわれたこと。つまり、学生としては何一つ、全くできなかったことがよく分かる。
 
もう一つ、今回気がついたのが、結婚の部分である。この自伝は基本的に子供たちに向かって書かれたものであるが、息子のフランシスは、結婚の部分も刊行書から削除していることである。これははじめて気がついた。昔学んでいたジェンダーの歴史でいうと、19世紀の前半のイギリスの男女の男の側は、色々な工夫や仕掛けをして新しい男になり、新しい仕方で結婚を成功させようとしていたが、19世紀の後半にはこれが実現できなくなって、より男性のグループ性での男らしさを強調することを重んじる新男性主義が現れたという議論がある(まだあるのだろうか?)ダーウィンの結婚の楽しそうな記事を息子が削除していることは、この19世紀後半以降の新しい男らしさの議論なのだろうか?

ギリシアの性、ルネサンスの性、トマス・ラカー(笑)

https://www.amazon.co.jp/Rise-Fall-Adam-Eve/dp/0393240800/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1521944589&sr=8-1&keywords=rise+and+fall+of+adam+and+eve

 

私の馬鹿さを笑う話を半分、残りの半分は良い本の話(笑)

Prospect というイギリスの月刊誌を読んでいて、そこでMiri Rubin というすばらしくできる中世史家が書評を書いていた。書評のタイトルは "The Biblical story of Adam and Eve has left us with a legacy of sexual shame" である。アダムとイヴの神話の分析の話で、アウグスティヌスの取り上げ、ミルトンの取り上げといった分析が素晴らしいという話である。著者はセックスと欲望の歴史や、古代の思想との関係について何冊もよい本を書いた学者であるとのこと。

この記述で著者は<トマス・ラカー>だと想像したのは私だけだろうか?アマゾンで Thomas Laqueurで検索して、書評されていたはずの新刊を見つけられず、面妖でミステリーな謎に首をかしげていた。もう一度書評を見直したら、 ルービンが書評しているのはStephen Greenblatt による The Rise and Fall of Adam and Eve (2017) であった。ラカーではなくグリーンブラットなのか。ギルガメシュを分析したり、アクグスティヌスを分析したりして、てっきりラカーかと思っていた。うううむ(笑)

日本の精神医療と東アジアの各国との比較+OECD

田形弘実ほか. "東アジアの精神科医療事情." 精神科 31, no. 3 (2017): 222-25.
 
基本的なデータを手にすることができた東アジアに関する論文。まずは現在の精神病床数、精神科の医者の数を、中国、韓国、台湾でくらべた表である。日本の精神病床数が中国と較べても気が遠くなるほど多いという事実である。人口としては中国の1/10 の日本が、精神病床数でいうと、中国の3倍近く多いという数字は、改めてめまいがする。そして韓国と台湾は、もちろん日本よりも少ないが、まだ日本に似ていることも、何かの意味があるのだろうか。
 
  日本 中国 香港 韓国 台湾
推定人口(万人)

12,700 

133,900 729 2,400 2,350
国民GDP/$US 4兆4千億 11兆 3千億 1兆4千億 5千億
1人あたりGDP/$US 34,486 7,990 42,737 27,450 22,495
医療費の対GDPパーセント 8.60% 3.10% 5.40% 4.00% 6.60%
精神科病床数 338,174 129,314 - 49,371 23,404
人口1,000人あたり 2.66 0.10 0.56 0.98 0.99
精神科医 15,187 16,103 - 3,650 1,646
人口100,000人あたり 10.20 1.24 - 7.00 5.70
 
それからこれは論文の図をもとに OECD Statistics からとってきたOECD 諸国の精神科在院日数である。2014年のもの。日本の圧勝一人勝ちというのか一人負けというのか、その様子はすさまじい。かなり離しているが二位は韓国であることも重要である。短い順に並べてみた。
 

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雑誌『精神科』2017年9月号より各国の精神科医療事情の紹介

科学評論社が刊行している雑誌『精神科』が、2017年の9月に特集を出しました。特集を二つ組んでいて、一つは各国の精神科医療事情、もう一つは措置入院の現状と課題です。どちらもとても面白い論文が多いです。私は「各国の精神科医療事情」に、イギリスの精神医療の歴史が、現在の社会と文化の風景に大きな影響を与えているものになったことを書きました。
 
このような医学系の雑誌を、人文社会系の研究者がどのように入手して読めるのか、ちょっとわかりません。大学図書館や市の図書館が購読している場合には問題なく読めるのでしょうが、そうでないときには難しいのかもしれないです。
 
面白い話をいくつか。一つはアメリカのメンタルヘルスは投薬とカウンセリングの二つからなっている。カウンセリングの主役になるのはサイコロジストで、これは医師と同等の立場である。日本にはこれがいないのが残念である。アメリカのサイコロジストは医療保険をつかって相談に来る多様な訴えにあずかる。「ペットが死んだ」「子供の成績が悪い」「恋の告白をしたけどうまくいかなかった」などのカジュアルなものを受ける。ただ、このようなカジュアルな段階でもサイコロジストに相談できることが症状の重篤化を防いでいるという。うううむ(笑)
 
一方アメリカのサイカイアリストとなると、サービスの多様化と支払いの複雑さが印象的である。州によって何ができるかが違う。ニューヨーク州では電気ショック療法が可能だが、コネチカット州ではそれができない。外国人から見ると、とんでもなく根本的な差異である。メディケイドとメディケアの区別ですら私はついていないが(笑)、それをはるかに超える複雑さをアメリカの健康保険は提供している。4つに分けられて説明されていた。
 
スウェーデン。1960年代には大規模な精神病院で、36,000床だったという。そこから小さなセクトに分割することがはじまって、現在では4,400 床ですんでいるという。
 
そして基本的なデータを手にすることができる東アジア。これは貴重なデータがあったので、それを掲載して別記事にします。
 
精神科医療事情のほうの一覧はこのようなものです。ぜひご覧ください。
 
表西恵. "米国の精神科医療事情―アメリカ社会におけるサイコロジスト." 精神科 31, no. 3 (2017): 183-86.
齋藤恵真. "米国の精神医療事情―精神科医の立場から." 精神科 31, no. 3 (2017): 187-92.
木村真理子. "カナダの精神医療と脱施設課政策." 精神科 31, no. 3 (2017): 193-98.
鈴木晃仁. "イギリスの精神医療の歴史." 精神科 31, no. 3 (2017): 199-203.
大島一成ほか. "フランスの精神科医療事情." 精神科 31, no. 3 (2017): 204-10.
奥野敦史. "スウェーデン精神科医療事情." 精神科 31, no. 3 (2017): 211-16.
植田俊幸. "ドイツの精神医療―ベーテルとハノーファの精神保健刺殺." 精神科 31, no. 3 (2017): 217-21.
田形弘実ほか. "東アジアの精神科医療事情." 精神科 31, no. 3 (2017): 222-25.