今日は啓蟄。24節気の一つで、雨水と春分の間。もともと地中の虫が動き出すということだが、中国で「啓」という字が皇帝の忌み名であるため、別の字を使っており、その字が雷という意味を持つため、雷が虫を驚かせたという意味が発生してしまっているとのこと。
72候も色々な混乱が出ているが、とにかくメモ(笑) 初候の一つは「桃始華」(ももはじめてはなさく)。次候の一つは「倉庚鳴」(そうこうなく)。「倉庚」はウグイスで、ウグイスが山野で鳴きはじめるということ。末候は「鷹化為鳩」(たかかしてはととなる)。春の陽気に会って、猛禽の鷹も温和な性格の鳩になるという意味。ここでは温和さはたしかに空に広がっていく感じですね。
EASTS (East Asian Science and Technology Studies) から、"Life, Science, and Power in History and Philosophy" の特集が出ました。金森先生の追悼特集と、生命、科学、権力についての歴史系の論文が組み合わされたものです。立教大学の高林陽展先生のイントロダクションと論文、慶應PDの中村江里先生の論文、小樽商科大学の佐々木香織先生の論文、そして明治大学非常勤の奥村大介先生の金森先生の総ての単著を体系的にまとめた長く本格的な書評です。この特集を実現するのに協力してくださったEASTS の編集のチーム、そしてデューク大学出版局にお礼を申し上げます。ことに、編集長の Wenhua 先生のお力は、書き手たちにやる気を与えるものでした。素晴らしかったです。
表紙はアーチストの作品です。もとは日本の医学者である長与又郎の胸像であり、その再現を組み合わせたものです。東京駅の東大博物館の「インターメディアテク」に再現が飾られています。これがどのような意味で「再現」なのか、少し考える時間がありました。これは、制作された当時そのものに直したわけではなく、現在の芸術作品として、ある意味で新たな加工をした「フェイク」でもあります。レオナルド・ダヴィンチらの作品に関して、歴史的に劣化した作品を、どこまでどのように直すのかという主題が大きな議論になりましたが、そのことを考えながら表紙にしていただきました。