月岡芳年と北条高時と天狗

菅原真弓. (2018). 月岡芳年伝: 幕末明治のはざまに, 中央公論美術出版.
(1969). 家の芸集, 東京創元新社.

来週の火曜日には英語で一つ講演をする。色々な事情が重なって、予定はしていなかったがしなければならなくなった講演である(笑)その導入である浮世絵の説明を書いている間にあっという間に1,000語になってしまった。うううむ(涙)

月岡芳年(1839-1892) の浮世絵の作品集『武者震』の中の作品「相模守北条高時」は、ほぼ同時期に初演された歌舞伎の作品と関係があるのだろう。歌舞伎の作品は『北条九代名家功』(ほうじょうくだいめいかいさおし)であり、三巻構成であった。1884年の11月に東京猿若座の新築開場興行に初演された。その一巻である「高時」が非常に人気があり、のちにはこの作品だけが上演されるようになった。名題で用いられている「九代」が、主演をした市川團十郎も九代であることが縁起が悪いとされ、「名高時天狗酒宴」(なもたかときてんぐのさかもり)と呼ばれたという。作者は河竹黙阿弥で当時は69歳、作曲は杵屋正次郎、高時は九代市川団十郎、それ意外に数名の役者の名が挙がっている。

この作品はもちろん太平記がベースにあるが、実際に原作として使われたのは『日本外史』の第三巻であるとのこと。そこで『日本外史』を読んでみたが、たしかに酷い記述になっている。北条一家の政権が危機に瀕しているときに、闘犬に熱狂して膨大な金を使っている愚かさと、天狗にまやかされて妄想を持つ人物である。その中で確かに天皇をポジティヴに扱い、武家をないがしろに扱う傾向が大きい。1887年に明治天皇が歌舞伎を鑑賞したときに、この作品にだけ好意的なコメントをしたとのこと。

もう一つ、芳年には精神疾患がまとわりついていた。一生のうち2回の大きな発病がある。1回目は1872年から73年で、これが全快する。2回目は1892年の春にはじまり、6月9日に死亡する。その前に巣鴨病院や小松川脳病院に入院したとのこと。この話は私が持っている情報がほとんどない。

核兵器の将来

エコノミストエスプレッソから核兵器の将来に関する記事。
 
冷戦期の核兵器の拡大は凄まじいものがあった。合衆国で言うと、ソ連との競争がもっとも激しかった時期には、70,000 個の核兵器が準備されていた。ソ連はもっと数が多かったことだろう。その個数が減少し始めて、現在ではロシアも合衆国もいずれも6,000個程度である。ただ、展開・配置されている核兵器だけでも合衆国とロシアだけで3,000個を超えているというのは、まだ狂気の状態である。中国や北朝鮮が、備蓄と在庫だけであるが、それぞれ数百点、数十点の核兵器を持っているという状況は、いずれも非常によくないが、ロシアと合衆国の状態と比べると狂気度は低い。
 
これからは何が起きるか全く分からない状況になるかもしれない。ことに、ロシアと合衆国のあいだの交渉の道具である条約が結び直されない状況もある。トランプとプーティンが決裂する、あるいはどちらもそれを望んで決裂するという悪化の状況も予想される。これは大きな危機である。現在の状況がすでに狂気の沙汰であることを思い起こすべきである。
 

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合衆国とロシアの軍事力が狂気のように強いという現実をまざまざと示しています。

産業革命と女性外科職人の歴史

Hudson, Pat. The Industrial Revolution. Edward Arnold. Distributed in the USA by Routledge, Chapman and Hall, 1992. Reading History
Wyman, A. L. "The Surgeoness: The Female Practitioner of Surgery 1400-1800." Med Hist, vol. 28, no. 1, 1984,  pp. 22-41
 
一般教養の身体の歴史。18世紀に入っているので、産業革命と身体の歴史を強調するためにPat Hudson の学生向けの書物を読んでいて、女性医療者に関するとてもいい記述があった。また、そこで引用されている文献も面白かったので、さっと読んでメモ。
 
産業革命(工業化)は複雑で難しい主題になってきている。ただ、ハドソンの本を読んでいると、納得できる議論が多い。男性は、工業技術が力を必要とすることと、社会において相対的に高い地位を占めることができることと関する議論で、女性とは平等であるという議論を否定する。女性は、仮に職があったとしても、家事と母親の役割に集中するべきだという議論になる。女性は身体の力が弱く、知性が劣っているから、男性がさまざまな力がある職業を独占することが正しいという議論である。これが専門化にも影響を及ぼし、医療の専門家は男性が独占するべきだという議論が現れる。そこで女性の治療者たちが批判される。女性外科治療者 surgeoness, 産婆、看護、そして wisewomen などが批判・攻撃され、男性の内科医、外科医、薬剤師などが専門家としての資格を持って独占するべきだという議論である。専門化の勝利というストーリーであり、これは、ある部分においてはもちろん正しい。
 
一方で、中世と初期近代を見ると、女性と医療の問題はもっとずっと複雑である。それをとにかく膨大な史料から引用して素晴らしい像を作っているのが Medical History の論文である。まず貴族や地主の妻という非常に重要な問題がある。彼女たちが医療を施すのは当然の義務であった。まず自分の家の家族もいたし、世帯にいるサーヴァントなどもいる。彼ら・彼女らが疾病になったときへの対応は、彼女が責任を持つ。重篤なものであれば医者に診せるが、比較的軽いものであれば彼女が責任を持つ。件数だけで数えると比較的軽いものが圧倒的に多い。また、隣人たちの貧しい者には、薬を与えたりすることが彼女の義務であった。慈善の観念があるから、地域や共同体での医療には深くかかわっていた。「村の非公式の医療者」であったと考えていい。職人としての外科職人や薬剤職人であるときには、当然のようにその仕事の手伝いをしている。
 
面白かったのは、比較的貧しい女性たちが持つ医療へのかかわりである。この論文の冒頭は、18世紀の契約書が提示され、貧しい女性が外科職人の訓練を受けることを定めている。別の街に女性の外科職人がいて、彼女のところで外科職人になる訓練を受けるという契約である。実際、外科医の大仕事を除くと、外科の基本的なことを女性が行うことは可能であった。病院においても、そこに常駐の外科医を備えておくことは難しいので、経験がある女性が、外科のことを行うことも可能であった。
 

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中央に立つのが床屋外科医。左にいるのが彼と結婚した妻で、熱心に仕事をしているとのこと。

産業革命におけるテクノロジーのインパクトについて

Berg, Maxine. The Age of Manufactures, 1700-1820: Industry, Innovation and Work in Britain. 2nd ed edition,  Routledge, 1994.
 
産業革命の本をもう一つ。こちらはより高度な本であるが、18世紀・19世紀の歴史は、医学の領域を離れた話でも、わかることが多い。産業革命は一生懸命勉強した記憶がある。実際に使ったことは一度もないけれども(涙)
 
産業革命がなぜ起きたのかを考えるときに、初期に作られた工場が、織物をしたりする製造機械を持っているが、その技術的な水準はどうなのかという問題がある。いわゆるテクノロジーの問題であろう。もちろん、それよりも重要な要因があるという議論もある。経済の問題、社会の問題、人口の問題などなどの議論である。私にはもちろん分からない。しかし、日本の精神病院の成立が、技術的な要因の重要性を語ることが多いこともあり、産業革命の中で技術を重視するこの書物を拾い読みした。たしかに、20世紀前半の私費の精神病院と重なることができるような洞察をたくさん持っている。
 
not the age of cotton, or iron, or of steem; it was the age of improvement
 
the factors was not just a big workshop -- it uses power driven machines and what made the factories successful was the machine.  
 
technology, no simply control over labours, was the drricing force: what made the factory successful in Britain was not the wish, but the muscle: the machines and the engines.  there was virtually no resistance to the early textile innovations, since their superiority was obvious.: 

看護婦と軍隊の問題

Enloe, Cynthia H. Maneuvers: The International Politics of Militarizing Women's Lives. University of California Press, 2000.

フェミニズムの論客の一人であるシンシア・エンロー先生の著作を読んでみた。『策略』として日本語に訳されているが、これは抄訳である。日本が韓国やフィリピンで行った慰安婦や現地女性のレイプの問題が取り上げられている章や、私が読みたかった看護婦と軍隊を扱った章が訳されていないようである。慰安婦に関しては、日本が行ったことはもちろん、イギリス、アメリカ、フランス、韓国などが行った問題として各国の軍隊が売春のシステムを前線の直近に作ることが鋭く書かれているという印象を私は持った。ぜひお読みください! 

軍隊の看護婦については、まずはクリミア戦争でのナイチンゲールの活動とその後の戦争と密接にかかわる看護の分析、アメリカの南北戦争の看護、スペインとのフィリピンを場にした戦争での黒人兵の看護、第一次大戦の看護、第二次大戦の看護、ベトナム戦争の看護、そして世界各地での看護と続いている。緻密な研究というよりも、他の学者の優れた研究をまとめながら、彼女の分析も出しているスタイルで、読んでとても楽しい。軍隊の兵士の看護は、兵士の妻であり、兵士との間にロマンティックな甘い雰囲気を作り出すが実際の関係は持たない「硬い売春婦」のようなものである。細かい看護日誌などを読んでいるわけではないけれども、国際的な大きな構造がとてもよくわかった。

私の精神病院には兵士が直接入院はしなかったので、今書いている本では大きな分析はしないが、でも戦争に大きな意味がある節は必ず書く。もしかしたら章を書くかもしれない。そのためのいくつかのヒントを貰うことができた素晴らしい書物でした。

神農本草経解説と「君臣佐使」という儒教概念

森由雄. 神農本草経解説. 源草社, 2011.

しばらく前に提出した論文のために中国医学の歴史を少し勉強した。55歳の医学史家としては恥ずかしい事態である。基本は中国語ができないという非常に大きなファクターである。どうしたらいいのか考えている。今のところは、日本語のマテリアルを読むと少しずつ分かるだろうと思っている。

今回学んだ一つの大きな概念が「君臣佐使」である。日本語では「くんしんさし」、中国語では jūn chén zuǒ shǐ と読む。英語では medicinal roles と訳している。中国の薬は、おそらく現在においても、複数の薬剤を混ぜて一つの薬が作り出される。例えば、麻黄湯は、麻黄、桂皮、杏仁、甘草の四種の薬剤を用いて、君が麻黄、臣が桂皮、佐と使がそれぞれ杏仁と甘草が構成する。この時に、ただ交ぜるのではなく、薬の間に関係を成立させて、その関係を「君臣佐使」という概念で理解するということである。

この概念が、いつ成立したのか、誰が何のために使ったのかというポイントは、非常に面白いが、もちろん私にはまったく分かっていない。一度中国医学の歴史を研究している方に聴いてみようと思っている。私が知っていることでは、漢代の時期に『神農本草経』という薬についての解説書があり、6世紀にその解説書が成立し、いずれも分散してしまったが、さまざまな引用などから再構成することができた。日本では19世紀中葉の1854年に森立之(もりりっし)による解説がついた復元書で成立し、そこで「君臣佐使」の概念が初めて使われたという議論に同意している。森による解説では、冒頭で「君臣佐使」を丁寧に説明し、その冒頭巻と、上巻、中巻、下巻の三巻を合わせて、四巻書となっている。

これは非常に強い身分制の発想であると私は思う。おそらく儒教とともに成立し、道教や、場合によっては神道とも共存できるのかもしれない。漢代に成立した書物の重要な支えが、幕府の危機である19世紀中葉に初めて成立し、現在の中国医学でも盛んに用いられているとしたら、とても面白い。

 

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
神農本草経(しんのうほんぞうきょう)

中国最古の本草書。著者および著作年代については不明であるが、前漢末期(西暦紀元前後)と推定されている。原本は伝存せず、500年ごろに陶弘景(とうこうけい)が校定し、自注を加えて出版した『神農本草経集注』や『証類本草』中の引用文などから、その内容をうかがい知ることができる。

1年の日数にあわせて365種の薬物を上品(じょうほん)、中品、下品の三品に分けた。上品の120種はいわゆる不老長生の薬物で、丹砂(たんしゃ)、人参(にんじん)、甘草(かんぞう)、枸杞(くこ)、麝香(じゃこう)などが含まれる。中品の120種はいわゆる保健薬で、石膏(せっこう)、葛根(かっこん)、麻黄(まおう)、牡丹(ぼたん)、鹿茸(ろくじょう)などが、下品の125種はいわゆる治療薬で、大黄(だいおう)、附子(ふし)、巴豆(はず)、桔梗(ききょう)、水蛭(すいてつ)など生理作用の激しいものが多く含まれている。

また序文には薬の性質や用法などが的確に述べられ、民族医学としての漢方は、漢代にはすでに完成されていたことがうかがえる。個々の薬物についての記載は簡素で、気味、おもな効能、別名、生育地などが述べられており、薬物の形状や具体的な産地については触れられていない。

後世、多くの人々が本書の再現にあたり、種種の校定本が出版されているが、いずれも細部に食い違いがある。現在もっとも信頼度の高いものは、1854年安政1)に日本人森立之(たつゆき)が復原した校定本である。[難波恒雄・御影雅幸]