OEDより難易度が高い単語の連発!

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OEDの今日の英単語から難易度が高い語句の連発。その二つのうち、新しいものは、まだ少しは分かる。語句は sithee. 基本的には自動詞で、I'll see thee の I'll を省略して see thee とし、それをもう一度短くして sithee としたものである。

一昨日のものはもっと難しい。語句としては soft Mick である。ランカスターで発生した言い回しらしいが、more A than soft Mick あるいは as A as soft Mick という形で、程度が大きいことを示すとのこと。ここまでは分かる。しかし例文をじっと見て、分からないほうが多い。もともと分からない形でつける語句なのかな。the cheek of Soft Mick なんて、そうではないだろうか。

Used in similative and comparative phrases to indicate a great quantity or degree, as more —— than soft Mick, as —— as soft Mick.

1939 T. Thompson in Manch. Guardian 19 May 22/1 ‘Tha makes me sick,’ said Jim Gregson. ‘Tha knows more nor Soft Mick.’
1977 Guardian 4 Nov. 16/5 Banks have lent more daft money to potty companies on so called basic information than soft Mick.
1999 Daily Mail (Nexis) 3 June 58 As a child in Blackpool, people said I had ‘the cheek of Soft Mick’.
2000 Independent (Nexis) 1 Apr. (Features section) 10 She may be knocking them out like soft mick, but her quality control can't be faulted.
2011 @chrisw81 13 June in twitter.com (O.E.D. Archive) I've got more shoes than soft mick.
2016 C. Wallace Finding of Martha Lost 24 ‘You're being as daft as Soft Mick,’ Mother proclaims.

 

 

アブラナとレイプ

アブラナが面白かった。これは英語で rape という。私が留学生だった30年ほど前に、カナダ人の学生と話しているときに rape という言葉が出てきて、向こうは普通にアブラナの話をしていて、私は混沌の迷路に入り込んでいた思い出がある。
 
西洋のアブラナと日本の在来種があり、前者は Brassica napus、後者は B. campestrisという。私の記憶にあるのは、おそらく B. nopus である。現在では、広大な農地一面に明るい黄色の花が咲いており、菜種油やキャノーラ油などのオイルが作られる風景がある。カナダと中国が一位と二位で、少し離れてインド、フランス、ドイツなどが頑張っている。日本も一度は明治以降に西洋から洋酒のアブラナを輸入して、1960年には20万ヘクタールまで増加し続けた。しかし、1965年にはそれが激減して半分以下になったという。農家としては菜種油を作って得られる収入が少なかったこと。でも、私はあちこちの田んぼの一角でアブラナの断片を見た記憶もあるし、チョウがアブラナで産んだタマゴを顕微鏡で見た記憶もある。
 
一方、寒冷地や山間でもまだ昔の在来種を栽培しているとのこと。京都では名物の花漬けにする畑菜、東北ではくくたち菜という。これは草川がこの文章を書いた1980年代である。昭和30年代以降、菜種油の需要が減ると菜種の作付けは激減し、一時は黄色い絨毯を敷き詰めたような景色はほとんど見られなくなったが、近年は観光用にノザワナを大規模に栽培して大正時代の名曲「朧月夜」で歌われた情景を再現しているとのこと。最近の観光は、歴史の史実とは大きく違うものを盛大に作っている。ここでアブラナノザワナにすることは、まあそれもいいだろうと思う。
 
それよりも、アブラナは風景の中でも食卓の上でも、独特の力がある。西洋のアブラナや、その仲間のカブでも、ガレノスのアルファベットを見ると、まず、カブの根は非常によくない。体をぶくぶくさせ、肉体はぶよぶよし、有毒な体液ができてしまう。一方、それを調理した水は、痛風やしもやけを圧迫して直すことができる。根を砕いて塗っても同じ効果である。バラの油や少しの蝋を入れて、灰で熱するとしもやけも治すことができる。アブラナ、特にその種に関しては、それ自体はよくないが、カブを上手に使った場合と同じくらいの良い効果がある。種とワイン、あるいははちみつ入りワインと一緒に飲むと、毒に対抗する効果が大きい。
 
ジェラードの薬草誌によると、どのように調理するかが大切である。ウェールズのように生で食べるのか、他の地域のように茹でて食べるのか、あるいは焼いてしまうのかである。生だと身体に風と冷たい血液を生み出してしまう。茹でると、冷たさがだいぶ減るが、それでも湿っていて風がある。焼くと、乾燥させ、風も少なくなる。ちなみに、ハックニーでカブが作られ、ロンドンのチープサイド市場で売られるものが、ジェラードにとってはとても美味しいとのこと。
 

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ジェラードのカブ。ここにアブラナの花も咲くのですね。
 
 

ライシテとトレマとアクサン・テギュ

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研究でも教育でもドイツ語とフランス語の存在感が大きくなってきた。研究の史料でドイツ語とフランス語をなんとか再び読めるようにする努力を始めたこともあって、日本語や英語の中に埋め込まれるドイツ語やフランス語の単語が気になるようになった。教育でも、セミナーで疾病の歴史を英語で書かせている中で、フランス語やドイツ語の人名やスペルについて、きちんと書くといい専門家になれるよという指導をしている。ただ、それが自分の能力の中にあるか、あるいは自分のキーボードでできているかというと、これが全くできていない(涙)Microsoft Word であれば、挿入―記号と特殊文字ーショートカットを定義すればいいのだけれども、これが Evernote につながらない。うううむ。
 
もともとの記号はエコノミストで laïcité という言葉が出てきたこと。もともとはフランスの概念で、宗教と対比させたときの俗のという意味での layあるいは secular である。これがイスラム教徒の女性の服装、特にプールや海浜でどのような水着を着るかについて議論しているという話である。 これを laïcitéといい、トレマを使った ï と、アクサン・テギュを付した é を使う。実はこれまでは laicite などと書いてみたり、英語に直して laicity などと書いていたのですが、やはりここは laïcité と書くべきですね。それから、トレマとアクサン・テギュ。昨日久しぶりに名前を思い出して懐かしかったアクセントです。後者は英語ではアキュート・アクセントというとのこと。ただ、もちろん私はワードで書いてコピーをしていて、Evernote では書けないのです(涙)
 
それから、日本語をアルファベットで書く時に、例えば王子脳病院は Ōji Brain Hospital と書きますが、これは「<お>の長音」というのですか? 数日前に日本語を教えている人と話して、重要な概念がまったく分かっていないことに気がつきましたので。また、Ō もワードで作った表記です(涙)

北極の捕鯨とオランダと神話

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日本では捕鯨をどうするかが問題になっている。その時に、私たちが読んでおくと素晴らしい記事が北極に関してあったからメモ。

基本は、オランダが17世紀初頭に現在のノルウェー領土であるスメーレンブルク (Smeerenburg 発音は確かではありませんが、これからスメーレンブルクと表記します)に築いた捕鯨の基地の問題である。欧米で長いこと存在した歴史学の伝説によると、17世紀にはスメーレンブルクの捕鯨基地は非常に栄えていた。人口は18,000人程度であり、当時のボストンの人口が約15,000人であったことを考えると、中都市である。そこには捕鯨した鯨から脂を取る大きな作業場、仕事をする男性たちの娯楽の場、そして彼らを色気で誘うあでやかな娼婦たち。生き生きとした中都市になっていた。18世紀にはスメーレンブルクは消滅していたが、それから19世紀、20世紀まで、スメーレンブルクはかつては華やかな街であったというモデルが広まっていた。

ところが、1970年代の古い町の残骸の調査によると、まったく違う現実があらわにされた。スメーレンブルクの人口は最大時に200人。町ではなくて小さな村といってよい。そこには華やかさなどまったくなく、オランダ人の船員たちが肉の干物などを持ち込んでしばらく過ごすだけの土地であった。ヨーロッパや北米は、巨大な捕鯨基地が17世紀には作られていた神話をせっせと作りながら、捕鯨の規模を自分たちが大きくしているという不思議な状況にいた。

これは間違っているかもしれないが、現在の日本は、そこにしばらく遅いタイミングでやってきた捕鯨国なのかもしれない。日本に捕鯨自体はもちろん存在した。ただ、それがどのような規模であり、日本が南極にどれだけ行って、そこにどれだけの情熱を日本人が注いでいたかという問題を理解するには、過去のきちんとした研究が必要だと思う。

南米の幻覚性植物とシャーマニズム

永武先生の南米のシャーマンと幻覚性植物の写真集を少しゆっくりと見た。ジャングルや高地の密林などの植物がシャーマンによって用いられている。これはアメリカ大陸古来のもので、おそらくその大部分は、石器時代のシベリアのシャーマニズムから引き継いだものである。シャーマンは日常に経験する世界と、精霊たちの聖なる世界との結び手である。自分の共同体のために、意識の変性状態に入り、スピリチュアルな次元と交信する。

この精霊世界と交信するための重要な手段が、ユーラシアでは伝統的には聖なる太鼓だったが、アメリカ大陸では向精神性植物であった。タバコを筆頭として、コカ、アサガオ、ダツラ、ペヨーテ、シロシピン、サボテンの一種であるサンペドロなどが用いられている。サンペドロはメスカリンを含んでる。アマゾン地方にはいると、さらに多種多様な向精神性植物が使われている。もっとも有名なものはアヤワスカである。密林の蔓を想像するといい。それにいくつかの植物を混ぜてつくる。

答案の採点と『絵で見るドイツ語』『絵で見るフランス語』

今日は新幹線で答案の採点をした。ちょっと久しぶりで、妙に懐かしかった。これからは語学勉強のための本を新幹線で読もう。大学生・大学院生の頃に習慣だったから、ものすごく懐かしくなるに違いない。私が古本で買ったのは300円くらいの一冊の本だけのヴァージョンで、CDなどの音声ソフトはついていない。あの頃は文字と音声の対比が哲学系の議論の一つでしたね。なんか、もう懐かしがっているのですが(笑)、フランス語環境の粋さとドイツ語環境の秩序の対比が楽しいですね。

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古本で買ってみました。

 

南米のシャーマンと薬物について

永武, ひかる. (1995). マジカル・ハーブ : 南米の幻覚性植物とシャーマニック・ヒーラー, 第三書館
永武, ひかる. (1996). アマゾン漢方, NTT出版.

ペルーアマゾン、アンデスに潜む植物のスピリットを、迫力のカラー写真で紹介。

1 アホ・サッチャのまじない
2 アンデスの秘儀
3 アマゾンの呪術師と神秘の植物アヤワスカ
4 密林ハーブガイド
5 ハーブからエコロジー

 

中南米シャーマニズムは幻覚性植物との結びつきが非常に強い。まだきちんとした学術的な書物を読んだわけではないが、最近読んだ二冊の入門者向けの書物から抜き書きをはじめた。中国と同じであるという「アマゾン漢方」というタイトルと、仏教やタオイズムの正反対であるという、まったく異なる。

南米のシャーマニズムと薬用植物のベースになっている植物の世界を記録する必要がある。シャーマンや呪術師の技術やビジョンは、非常に捉えにくく、主観的なものであり、かつ文化的な背景に埋もれているという。シャーマン世界の本質は目に見えない。つまり<力>のある植物に含まれる高精神性物質が、不思議な精神状態やまったく道のシナリオをもたらし、常に変化し続けながらも、現出するものが真実であると強く感じさせるためである。このような経験は、シャーマニズムが息づいている社会ではごくあたりまえのことで、シャーマンは、宗教的エクスタシーをともなう内なる旅を通して、英知や真実の知識を得るのである。その隠された伝統を引き出すのが、幻覚性植物を通じて与えられる、世界をつかさどるものや、森の精霊によって差し出される恵みである。

シャーマンによる内面世界へのアプローチは、仏教やタオイズムの黙想的なアプローチとほとんど対極にある。これらの無我の境地にいたるアプローチは、心の動きを静止して、すなわち清浄と平静をもたらし、現実世界の執着を解き放つ。しかし、本書の素晴らしい写真に見せられるシャーマンのアプローチは、まったく異質のものである。先祖代々継承されてきた混沌として一種芝居のような手法であり、各地の伝統的な土着植物に含まれる自然界の幻覚性物質による精神的・身体的な作用に基づいている。

シャーマンの知識や力は、その植物の体験から得られるので、シャーマンの世界と植物の世界は分断あれることのない、ひとつの連続体である。