北極の捕鯨とオランダと神話

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日本では捕鯨をどうするかが問題になっている。その時に、私たちが読んでおくと素晴らしい記事が北極に関してあったからメモ。

基本は、オランダが17世紀初頭に現在のノルウェー領土であるスメーレンブルク (Smeerenburg 発音は確かではありませんが、これからスメーレンブルクと表記します)に築いた捕鯨の基地の問題である。欧米で長いこと存在した歴史学の伝説によると、17世紀にはスメーレンブルクの捕鯨基地は非常に栄えていた。人口は18,000人程度であり、当時のボストンの人口が約15,000人であったことを考えると、中都市である。そこには捕鯨した鯨から脂を取る大きな作業場、仕事をする男性たちの娯楽の場、そして彼らを色気で誘うあでやかな娼婦たち。生き生きとした中都市になっていた。18世紀にはスメーレンブルクは消滅していたが、それから19世紀、20世紀まで、スメーレンブルクはかつては華やかな街であったというモデルが広まっていた。

ところが、1970年代の古い町の残骸の調査によると、まったく違う現実があらわにされた。スメーレンブルクの人口は最大時に200人。町ではなくて小さな村といってよい。そこには華やかさなどまったくなく、オランダ人の船員たちが肉の干物などを持ち込んでしばらく過ごすだけの土地であった。ヨーロッパや北米は、巨大な捕鯨基地が17世紀には作られていた神話をせっせと作りながら、捕鯨の規模を自分たちが大きくしているという不思議な状況にいた。

これは間違っているかもしれないが、現在の日本は、そこにしばらく遅いタイミングでやってきた捕鯨国なのかもしれない。日本に捕鯨自体はもちろん存在した。ただ、それがどのような規模であり、日本が南極にどれだけ行って、そこにどれだけの情熱を日本人が注いでいたかという問題を理解するには、過去のきちんとした研究が必要だと思う。