中国医学の身体の国家アナロジー
加納喜光. 中国医学の誕生. vol. 2, 東京大学出版会, 1987. 東洋叢書.
中国医学を少しずつ勉強している。学術的な講演では役に立たないけれども、背景の一つとして知っておくといい。
加納先生は中国医学のテキストを数多く読んでおり、西欧医学やインドの医学に関しても知識が広い。著作も読んで非常に楽しい。1970年代から80年代に開花した楽しい人文学であり、イラストも楽しい。そこで議論されている多くの論点の一つが、身体の国家アナロジーがある。薬では君臣佐使という儒教的な役割分担があったことを少し考えたが、身体の臓器においても国家にあてはめて考えるとのこと。漢代にはいるとそれが進展したとのこと。
中国では心臓が身体国家の中心であった。古代ギリシアのプラトンが頭脳を中心においたことに対し、古代インドでは心臓に蓮華をおいた美しい様子を示したという。一覧表を作っておいた。
|
肝 |
心 |
脾 |
肺 |
腎 |
『素問』霊蘭秘典論 |
将軍之官 |
君主之官 |
倉〇之官 |
相伝之官 |
作強之官 |
『霊枢』五〇津液別篇 |
将 |
主 |
衛 |
相 |
外 |
『千金要方』巻11 |
郎官 |
帝王 |
諌議太夫 |
上将軍 |
後宮内官 |
『中蔵経』巻上 |
|
帝王 |
諌議太夫 |
上将軍 |
|
『張仲景五蔵論』 |
将軍之官 |
帝王 |
丞相 |
内官 |
|
『五蔵論』(医方類聚引巻4) |
帝王 |
諌議太夫 |
丞相 |
列女 |
「蓮華」を調べておいた。もちろん蓮の花のこと。馬鹿ですから田んぼで咲くレンゲではないことを、念のため(笑)
蓮華
れんげ
蓮(はす)の花。仏典では、ウトパラutpala(優鉢羅華(うはつらけ)、青(しょう)蓮華)、パドマpadma(波頭摩華(はずまけ)、紅(ぐ)蓮華)、プンダリーカpurīka(分陀利華(ふんだりけ)、白(びゃく)蓮華)、クムダkumuda(拘物頭華(くもつずけ)、黄(おう)蓮華)を列挙するが、ウトパラは睡蓮(すいれん)で、パドマとプンダリーカが一般に用いられる蓮華である。インドのビシュヌViu神話では、ビシュヌのへその中から生じた蓮華の中にブラフマー(梵天(ぼんてん))がいて万物を創造したという。「泥中(でいちゅう)の蓮華」というように、汚い泥に染まらず清らかで美しい蓮華は、仏典では清浄な姿を仏などに例える。仏・菩薩(ぼさつ)の座る蓮華の台を蓮台(れんだい)、蓮華座(れんげざ)という。『妙法蓮華経』は「白蓮華のように優れた教えを説く経」という意で経題に用いられている。『華厳(けごん)経』では、毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)の世界を蓮華蔵(れんげぞう)世界とよび、仏の住むこの世界を蓮華に例える。阿弥陀(あみだ)の浄土の蓮華の中に往生(おうじょう)することを蓮華化生(れんげけしょう)といい、密教では胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)の中心に、八弁の蓮華の葉の上に、大日如来(だいにちにょらい)を中央に四仏・四菩薩を周りに配したものを中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)とよび、いずれも仏の大悲を表す。煩悩(ぼんのう)の汚れがなく、純粋無垢(むく)で清浄な状態を、仏身や、悟りの世界、浄土などと象徴的なものとして表現した。
近代精神医療への複数の流れ
医学におけるメタファー
The Public Domain Review. Selected Essays.
Soll, Jacob. The Reckoning: Financial Accountability and the Rise and Fall of Nations. Basic Books, 2014.
医学に関するメタファー論や翻訳論を読んでいる。
解剖学はヨーロッパの医学校における巨大な牽引力を持っていた。その一つが、医学生は解剖を本で読み図像を見るだけでなく、実際に手元で触れて、感触を持ち、それを憶えておかなければならないという心得である。ヴェサリウスの『人体構造論』は、これを積極的に利用した書物で、数多くの解剖学上のメタファーやアナロジーが用いられている・ metaphor and analogy help the students make the cognitive leap. この利用自体は、伝統を継続する中での新しい試みである。
ヴェザリウスが問題にして批判したのは、主にガレノスが用いたメタファーである。ガレノスは犬を解剖して肝臓を観察していたが、それを4つの部分に分けて、炉床、テーブル、ナイフ、戦闘士という名称をつけている。これが実際に四葉を数えているのか、それとも別のものを数えているのか、よく分からない。また、ヒトの肝臓は二葉であるが、どこを引用しているのか分からない。いずれにせよ、ガレノスにとって、肝臓は人体の中枢であり、そこがどのような構造なのかは非常に重要であった。他の中世やルネサンスの人々にとっても、アリストテレスの脳が重要であると議論と並んで、肝臓は非常に重要であった。
ヴェザリウスは、ガレノスの対象が実はイヌであったこともあり、比喩の利用を嘲笑する。しかし、ヴェザリウス自身もメタファーを使っていたからである。Vはパイプ、油、壁、柱、都市の通り、ワイン貯蔵所などの名称をつけている。細かい記述の前にこのような比喩的な表現が出てくる。
Social History of Medicine の最新号より
トートロジカルとトートゴリカルとアレゴリー
これは数日前の OED 。語句は tautegorical. この説明自体は分かったけれども、tautological とどう対比するのかがよく分からなかった。
まずアレゴリー・アレゴリカルとの対比。アレゴリーは実際に描かれていることが隠された意味をあらわしており、それが道徳か政治の問題であることを指す。それに対して、トーテゴリカルは、他の意味ではなく、それ自身を指している状況である。用例によると、エジプトの風景を見て、それ自身を指し示し、それ自身として非常に美しい光景であるときにトーテゴリカルに美しいという。これをめぐるコールリッジやシェリングのことも読んで楽しかった。
問題は、この単語と似ているトートロジー、トートロジカルとどう違うのかという話である。they arrived one after the other in succession. は、「次々と」という同じ概念を二回続けている。これをトートロジカルだという。しかし、なぜトーテゴリカルといわないのかと聞かれると、うまく説明できない。論理と美学とか、意味とシンボルとか、そのような世界の話なのだろうか。
Wellcome の展示
ロンドンの Wellcome Collection で面白い展示がいくつか。一つが20世紀の催眠術師のショーを内側から展示した Smoke and Mirrors. 私はカタログを買ったけど、とてもよくできている。冒頭のケースを用いたものが、実はジェンダー論の説明(笑) TVなどで観た記憶があるけれども、ビキニ姿の女性を横に寝かせて、真ん中をノコギリでぶった切って、それでも女性がニコニコ笑っているもの。これは男性の魔術師の側ではなく、実は女性のアシスタントの側が本気でパフォーマンスをしているショーであるとのこと。
他にも楽しい展示がたくさん。当事者も関与する精神医療の世界の紹介も面白そうですし、9月にはじまる世界の人間たちの展示が傑作のようですね。